書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

雑誌から

雑誌を買わなくなった。子供の頃から社会人になってからも、趣味やなんやらで雑誌は沢山買っていたし、本は読まなかったけど、雑誌は沢山読んでいた。なのに今は、書店に行っても、雑誌のコーナーをついでにしか見ないし、なんなら見ない時の方が多くなった。

ネットの方が情報は早く、幾らでも大量に取れる。しかもほとんどの場合タダ。場合によっては質も高く、マニアックさも雑誌以上。求めている情報が割と明確なら、雑誌を読むより、ネットの方が基本優秀だと思う。あれだけ買ってあれだけ読んでいた、立ち読みまでしていた雑誌に求めていたものは、今は基本ネットに求めている。

 

今日、随分久しぶりに雑誌を手に取る機会があって、期待もせずパラパラと眺めた。全然期待していなかったけど、自分が求めていなかった情報でも、意外と興味をそそられたり、刺激を受ける記事が幾つかあった。それ単体を自分から能動的、主体的には取りに行かないけど、受動的に受けたらちょっと面白いと感じるような、そんな記事が幾つかあった。パラパラ眺めるが、ページをめくって見るに変わっていた。

 

ネットで雑誌の代わりに能動的・主体的に情報を取っていくという事は、自分の興味の延長上、知っている既知の興味の延長上のものしか得られにくい。指向性が強く、早く、効率がいいは、深堀するのにに向いている。狭く深くの世界、それはそれでいい。でも、広く浅くの世界に目を向けるには、ネットのそれでは辿り着きづらい。早く、効率がいいは、余計な情報には辿り着きづらい。

雑誌は記事が複数あって、自分が興味のある記事ばかりでもない。自らが進んで読みたいと思った記事に、躁じゃない記事が引っ付いてくる。それ単体では読まないけど、引っ付いてくるから眺める。眺めてピンとくるものがあったら見るし、そこで引っかかったら読む。雑誌って受動的。でも主体的では目に入らない記事を眺める機会にこそ、意外な興味に気が付いたり、刺激を受けることが出来たりする。気が付いていない、新しい趣味嗜好の扉を開けてくれそうにも思う。

 

別に雑誌に限った話じゃなく、好きなものばかり、それだけで進むのはやっぱり面白く無い。興味のある分野の情報収集に関して、引き続きネットがメインにはなっていく。狭く深くの世界にこそ、意義深いものがあると個人的には考える。でもその狭く深くを更に意味深くするためにも、広く浅く、受動的な刺激も求めたい。引っ付いてくるものにも価値があるし、引っ付いてくる情報だからこそ、何時もと違う所に刺激を受ける。そこからまた違う価値観に気が付き楽しめる。

そんな体験に巡り合うためにも、雑誌コーナーに行く習慣を復活させようと思う。