書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

いい人とやさしい人

いい人とやさしい人って別。

 

やさしいから いい人とは限らない。悪人も、24時間100%常に悪人でいる訳でもなく、時にやさしい事もする。なんならやさしく振舞う事を撒き餌に、悪い事に導いたりもする。

「やさしい」って態度を含めた行為の事で、本心でどう思っているのかは関係ない。その場面で、たまたまや思惑があって やさしい行為を出しただけ。無条件で常にではない。だからその人そのもの、揺ぎ無いものなのかと言われたらちょっと違う。

 

だから「やさしい人」って言い方は本当は間違っていて、その時に やさしい行為で接する人って言える。

 

反面、いい人は、人と回りの事を第一に考え、ルールを貴ぶ。それが自然だから、過度に自分を犠牲にもしない。その心根の結果、やさしい行為が出てるだけ。いい人は、何時でも何度でもやさしい。

いい人とは、生来のいい人そのもので、作ったものではない。何時でも何度でもいい人。だからやさしい人と違って、いい人に後からなれない。

 

人と付き合っていく中で、基本やさしい行為で接してくれる人としか仲良くなれない。仕事上の繋がりはともかく、プライベートで付き合う人は、皆都度都度やさしい。でもそのやさしい態度で接してくれる人、全ての人が、いい人かどうかと言われれば、決してそうではない気がする。いい人って言うのは、凄く少ないように見える。

 

人の事を言う以前に、俺はいい人じゃない。随分長い間、自分の事をいい人だと思ってたけど違った。稀に、不愉快になって意地悪な事をする時もあるし、上から目線の、高慢な奴になったりもする。本物のいい人と接する事で、自分はあっち側じゃない事を知った。いい人になりたいとも思ったけど、無理な事を受け入れた。

 

ただ やさしく接する人にはなれる。

いい人になれなくてもいいけど、やさしい人にはなりたい、やさしい人でいたい。

結局人と接するのは行為でしかなく、その結果が全てである以上、腹の中で何考えてても、どんなに不機嫌でも、やさしい態度でいればいい。やさしい行為を都度都度で、ずっと続ければいいだけ。

いい人でない事を自覚してこそ、意識してやさしい行為で接する人になれると信じる。

 

「いい人じゃない」という事を忘れず、意識し続けていこうと思う。