書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

人の理解なんていらない

普段数字で人を詰める事しか能の無いうちの上の人と、仕事を離れ、ちょっと話をしたんだけど、その中でなぜ今の仕事を選んだのかという話がとても興味深かった。

 

大学時代、バイトで美術館の学芸員の手伝いに熱を入れていたらしく、実績も認められ、コネで卒業後もその席を用意されていたらしい。なりたくても中々慣れない仕事らしく、周りからも当然その道に行くと期待されていたけど、それを蹴って普通の商社に入って今に至ると。その理由が、「スーツを着た仕事がしたかった」から。

 

何度か突っ込んだけど、帰ってくる答えは同じ。異国のBARで酒という事で、お互い高揚しつつ、ゆるくもなってたけど、嘘をついてるようにも見えない。酔った顔から真顔で、「美術品は好きだし、美術館で働くことも魅力があった。でもスーツを着たかった。スーツを着て仕事をしてる自分に憧れてた。」と何度も言われてしまった。

 

驚き、そんなもんに価値見出すの?って思ったけど、はたからはそう思えても、本人にはそれが大事なことだったんでしょう。

確かに自分も何かを選択したときの理由を聞かれ「そんなことで?」と言われたことがないわけじゃない。恥ずかしくてはぐらかしたり、嘘の理由を言ったこともある。でもそれが自分にとっては大切で譲れないものだった。

 

人によって大切にしているものはそれぞれ。

他の人がそれを理解できる出来ないはまた別の話だし、別に理解なんてしてもらわなくてもよろしい。

 

時に人からも自分自身からも理由を聞かれ、説明する義務感から、もっともらしい大義名分や、嘘を並べて納得させるけど、仕事ならともかく、何かをすることや選択する時に、人に説明できるような「大義名分」なんていらない。別に理屈で辻褄が合うような理由なんていらない。聞かれてもやりたいからでいい。

 

スーツが着たかったから。

上の人がそれを貫き通したのはとても立派だし、素敵な事だと思う。

 

そのまま学芸員になってくれてさえいれば、数字を詰めてくる人にはならなかったので、俺にとっては不幸なお話ですけど。