書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

虫の知らせ

少し前に某芸人の深夜ラジオの動画にハマった。毒舌で有名なその芸人が好きで、MCをしている、深夜ラジオのまとめをYoutubeで見つけ、面白過ぎてハマった。元々センスのある毒舌だけど、TVでもなくラジオ、しかも深夜放送という事で、その番組でしか聞けないレベルの毒舌が面白過ぎた。次から次へと新しい動画を見て中毒の様にハマった。

丁度最初の動画を見てから2週間ぐらい経った時、心の中に、妙なもやもや感と言うか、疲れと言うか、しんどさの様なものを感じた。全然心当たりが浮かばなかったけど、何故かその動画じゃないかという、「虫の知らせ」の様なものを感じた。面白いから見ていたのにと不思議に思いつつ、とりあえずその動画を見るのを一旦やめてみた。すると、直ぐにその疲れ、しんどさが無くなった。

関係無いだろうとも思ったけど、関係があった。今になればわかるけど、面白がってた毒舌が、自分の中で、毒舌で楽しめるレベルを超えていた。面白いは面白いけど、同時に自分のメンタルに、負担を与えているのに気が付けなかった。毒舌がそのまま自分への「毒」にもなっていて、それを中毒の様に取り込んでた。

リスナーにも評価され、10年以上続いてる人気番組で、別にその番組や某芸人が悪いとは思わない。ただ自分には合わなかったという事が、やめてようやくわかった。

見るのをやめても、Youtubeのお勧めには次から次へとその番組のまとめが上がってくる。あると見てしまうので、今は一つ一つ「お勧めにしない」をわざわざ選択して、出てこないようにしているけど、そこまでしても、たまにYoutubeがお勧めしてくる。凄いレベルで「毒」を取っていた事に改めて怖さを感じたし、「虫の知らせ」を無視していたらと思うと、更に怖くなった。

出来ていたかどうかはまた別の話として、理屈で物事を判断する事を重視してきたし、その姿勢は正しいと思う。でも、自分で説明できない違和感に対しても、気のせいと簡単に切り捨てないようにしたい。

理屈で説明できないからといって、違和感が気のせいか、事実かどうかはまた別の話。その違和感は、自分に合わないという事実のサインなんだと、「虫の知らせ」を無視しないように、そして感じる自分をもっと信用しようと思う。