書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

いい日 に気が付けない

今日は「いい日」だったなと、ふと思える時がある。特別良い何かも無ければ、特別悪い何かも無い。大体の日はそんな日の筈なんだけど、そんな日の中でも、今日はいい日だったなと思える時と、そうじゃない時がある。いい日だったと思えれば、幸せな気分になれるし、1日頑張った自分を認めてやれる。でも大抵はそんな感慨を味わうことなく、気が付いたら寝てしまって、また朝を迎えている。思える日と思えない日との間に何か大きな違いはないように思うし、だったらそう思える日を増やしたい。

 

思い返せば、10分とか15分、力を入れるような、入れないような、考えるような、考えないような、そんなちょっとした時間を過ごしてる時に、「いい日」だったと思えている。意識ここにあらずとも、どこか遠くまで行ってないような。ぼーっとはしてない、でも強く何かを意識もしていない。そんな感じの10分、15分を持てた時に、今日はいい日だったと気が付けている。

 

特別何もない日でも、いい日だったなと思えるほど、割と人生恵まれているのか。

俺自身が相当呑気なのか。

 

多分その両方でもあるんだろうけど、だったらだったで、いい日だったのに、いい日だったと気が付けないことは勿体ない。幸せなのに、幸せと気が付けないのは勿体ない。

 

10分、15分のちょっとした時間を大事にしたい。

 

 

 

なんだけど、その10分、15分の大切さをその内忘れたりするし、なんなら意識しすぎて上手くいかないかもしれない。

 

結論。「いい日」は中々気が付けないもの。