書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

おっさん同士

中学生時代、とても仲良くしていた友人が近所に住んでいる。お互い昔からここに住んでいた訳ではなく、同じ校区でも全然違う所に住んでいたんだけど、たまたま偶然、何十年も経ってご近所さんになった。とはいえ、極たまに遭遇するぐらいで、お互い気が付いたら会釈したり挨拶をする程度。朝だったらこちらは車通勤、彼方は駅まで徒歩。休みの日も、バイクだなんだで家の前に出ていたら、たまたま買い物帰りに通りがかってとかそんな感じ。中学の時はあれだけ遊んで、あれだけ話をしていたのに、今では飲みに行ったりもしない。お互い、住む世界もちょっと違うし、生活のリズムも違う。趣味趣向もあの頃から互いに変わった。おっさん同士、お互い年月を重ねるとそんなもん。


昨日、たまたま電車で仕事に行く事となり、同じく出勤途中の彼と偶然出くわした。駅までは一本道、何時ものように会釈や挨拶で終わらせる訳にも行かず、一緒に駅まで向かう。10分程度の道中、何かを熱く語るという訳でも無く淡々と話し合った。そっちの景気どう?とか、休みどうしてる?とか、近所のアレはどう?とか。極々無難な話を、極々自然に流しあう。笑いも起きたし、身振り手振りも交えた。

でも100%それが自然に、天然に出たものでもなく、お互いちょっと演技しあっていた。この話題が今の2人には相応しく、このタイミングでこう来たら、この間でこう返すよね、というものをお互い考えながら交し合う。これぞ大人の社会人のやり取り。端から見たら仲良さそうに、随分盛り上がっていたように見えたはず。でも当人同士は、適度な距離感を測り、適度な踏み込みをして、つまらなくも無いけど、端から思えるほど楽しくもない状態で語り合い、場で距離感を常に頭に入れ続けた。お互いちゃんとしたビジネスパーソンになったんだなと、ちょっと感動した。

 

会話と同じく、予定時間通りに駅に着く。同じ方向のホームだけど、お互い何も言わず、さりげなく俺は先頭方向、彼は後方に向かおうとした。それも今の関係では予定調和で、これ以上は一緒じゃない。別れのタイミングも、お互い完璧に間合いがあっている。

ただなんか、それがなんかおかしくて、最後に「お互い、おっさんになって、色々上手くなったよな~」と言ったら、一瞬間を置いて笑ってくれた。俺もそれを見て笑った。あの笑いは演技じゃないし、彼も演技の笑いじゃなかった。あの瞬間、中学時代の距離感にちょっと近づいた気がする。

またちょっと時間が空いた先に、同じように見かけるんだろうけど、また会釈と挨拶の再会になるんだろう。でもそれはそれで、いい事なんだと思う。