書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

えーご

英語の勉強って大変です、しんどいです。

 

日本に生まれた我々は、赤ん坊の時から日本語で育ち、情緒も趣もみんな日本語で心の中に紡いできてます。心の中で自然に沸き起こる内なる感情は、日本語で出てくるのが当り前です。言葉ってそんなもんです、他の人に自分の意志や感情を伝える手段だけではない、心の内を司るものは日本の言葉、日本語でしょう。

 

学生時代、英語が大っ嫌いでした。ていうか、此処は日本で俺は日本人で、周りの友達も知り合いも皆日本人、日本語で話は伝わるし、何不自由無く意思疎通できる。何で態々外国の言葉学ばなあかんのよって思っていました。

 

でもある日ふと気が付くのです、我ら日本人は「世界」という世の中で少数派なんだって。それまでの世の中って日本だけでしたけど、本当の世の中って「世界」の世の中なわけです。で、残念ながらその「世界」で日本語は通じないんです。

 

共通語があるんです、だって中国人と話す時に中国語を学んで話して、ドイツ人と話す時にドイツ語を学んで話して、ロシア人と話す時にロシア語を学び話す、ケニヤ人の時はスワヒリ語。そんなの無茶苦茶大変でしょう、何か国語覚えなきゃいけないのよ。だから共通語があるんです、それが英語なんです。一つの言語、英語を学べば通じあえる。

 

だから英語なんて手段でしかないんです、各々の情緒も、趣も、心の中で自然に沸き起こる内なる感情をも伝える只の手段なんです。

 

で、その手段を学ぶのに苦労してるんです。そりゃしんどいですよ、自分の国の言葉=情緒も趣も心の中で自然に沸き起こる内なる感情なわけで、もうそれって人格なわけです。日本語があるのに他の言葉を入れるって、ある意味違う人格を自分の中に創らないといけないって事なんだと思います。そらしんどいわ。

 

でもです、でもですよ、それだけしんどくても学ぶ価値があると思うんです。我々日本語を母国語にしてる人口は約1億2千万人。ではそれ以外の人って世界でどれだけいるのって、約72億いるわけです。72億て60倍でしょ、60倍なんですよ。

 

親友って何人います?

友達は?

親友っていても5人ぐらいでしょうか、友達もダンパー数から考えたら150人いたら凄いでしょう、その60倍ってどういう事よってなりません?

親友300人いたら無茶苦茶人生楽しいと思いません?

だって毎日違う親友と遊んでも、ほぼ10か月回るわけです。

これは凄いと思う訳ですよ。

 

英語を学べたらこれが現実になる可能性があるわけです。もー凄くないですか?、ワクワクしません?

非現実的なこと言ってるかもしれない、ただの屁理屈かもしれない、でも可能性あるわけですよ、世界中で親友が300人出来る可能性が。

 

という訳で、私を含めて英語を今頑張って勉強してる人にこの落書きを捧げます。

皆で頑張りましょうね。