書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

ハレとケを無くす

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昨日1号バイクの初乗りでした。

 

またお前のバイクポエムかって話なんですけど、事はそう単純な話では無いので最後まで。バイク自体の初乗りは1月7日に済ませてるのですが、貧乏人のくせに私はバイクを2台持ってまして、初乗りは2号機、7日は雪の積もる京都の山奥の美山に牛乳ソフトクリームを食いに行くという、興味無い人からしたら頭おかしいんじゃないかという初乗り。で、本命、本妻の1号機さんにも何処か連れてってやらないといけない訳で、色々考えたのですが、私の定番にしている京都の山奥や奈良、三重の山間は雪や凍結のリスクが高く、結局考えて和歌山市に向かいました。

 

和歌山市って物凄く行ってるのです、最盛期は週に三日程朝から晩まで。おまけに追加で後一日は和歌山県和歌山市以外に。何の事は無い、仕事で担当していたって事なんですけど、数度の転職の中で何故か和歌山県和歌山市には縁があり、頻度の差はあれ計10年程和歌山には通ってます。でもプライベートでは今まで1回しか行ったことが無いんです。しかも市内じゃない白浜(知らない人に説明すると関西では温泉、海で有名、しかも上野動物園では珍重されてるパンダが当たり前のようにいる)に遊びに行ったぐらいで、帰りにお約束のパンダ見て帰って来たという。出不精な方でもないので、ちょこちょこ色んなとこには行ってるんですが、意図的に避けてたんです。まあ避けてなくても和歌山市ってあんまり行く所ないかもしれないけど。

 

私だけかもしれないんですが、結構な期間、仕事は成果とかそんな事の前に「しんどい事」で無ければいけないって思い込みがありました。生まれたばかりのヒナが初めて見たものを親と思いこむ「刷り込み」宜しく、私が大学出て初めて入った会社が体育会系も体育会系、仕事が楽しいなんて言おうもんなら気合が入ってないって殴られてもおかしくない、事実キツい仕事でした。その意識がずっと残ってたというか取り付かれていました。仕事はしんどい事、そんなしんどい事を思い起こさせる仕事の手帳は、休日には見るどころか触りたくもない、仕事とプライベートの手帳は完全に別。金曜日の深夜に会社を出た瞬間、圧倒的開放、土曜、日曜の昼過ぎまで娑婆でパラダイス。「サザエさん症候群」どころか、夕方からすでに憂鬱で、月曜日の朝なんか戦争でも始まって会社に行けなくなったら良いのにって本気で思ってました。もうこんなの会社の懲役囚だろって感じで、今考えると色々笑っちゃうんだけど。でも当時は本気でそんな状況で、そんな状況なら、仕事してる地域に1cmでも入りたくないって気持ち、解ってもらえるんじゃないかと思います。

 

転職して業界も変わってそんな事は無くなったんですけど、それは刷り込みですから、自然とそういう意識が残ってるんですね。だから10年近く、仕事では頻繁に行く、何なら、和歌山出身者だけど他所で住んでる人より詳しくなってるような状況になっても、やっぱりプライベートでは寄り付かない感じで。でもいい加減そういう気持ちから自分を解放しないと可能性が狭まるなって思い、バイクのツーリング先って言い訳しつつ、それでようやく和歌山市に。

 

もー不思議、凄い不思議、何これ?って感じ。

 

何時もは戦闘モード、車でハンズフリーで代理店担当者や同僚、何ならクレーム対応で頭下げながら、それでもエアコンで快適な環境で、デフォは英語のリスニングテキストが流れつつ、時にはTVのワイドショーで川谷は本当にゲスだったけど、ベッキーもアレはアレで大したもんだな的な情報を得てたのに(例えが古すぎ)、今日は1号さんバイクでヘルメット越しの世界、寒さもダイレクト、並走する車が跳ねる小石がカンカン当たるなんてありえない。よく知ってる、なんなら信号のタイミングもわかるぐらい見慣れた景色なのに、見てる視野は全然違う、夢見てるんじゃないかって経験だった。土日には私の日本地図から消えていた和歌山市が確かに実在してた。

 

物凄い失礼な、あくまでも私個人の話として許して欲しいんですが、和歌山市って自分の中では仕事という何処か本当の自分のいる場所とは違う、「ケガレ」の場所だったのに、それが「ハレ」の世界にやって来たって感じ。お前何言っちゃってるの?って感じかもしれないけど、兎に角凄い経験でした。最後は一応目的にしていた淡嶋神社という、和歌山市の端で我がルーツの淡路島を眺めて帰ってきました。因みにここは人形が万単位で奉納されてるのが有名なんだけど、そんなの見る精神的余裕はなく昨日は終了。

 

仕事って人によってそのスタンスがかなり違うと思います。勿論社会人成り立ての頃と、リタイア間近ではまたちょっと違うかもしれないけど。私を含めてみんな仕事に随分囚われ過ぎてるような気がします。ちゃんとしなきゃとか、成果を出さないと首になるとか、組織に貢献しないとお荷物になるとか。そりゃ仕事ですから職種によっては自他の安全性に関わったり、消費者に多大な迷惑をかけるようなものもあるでしょうから、不真面目はダメでしょう。でもなんか死にそうな顔して毎朝電車に乗るのもどうなのかと思うのです。

 

仕事をしている自分とプライベートの自分が半々位で、それが合わさって一人の自分ではなく、一人の自分がまずあって、その中のあくまでも一部に仕事をしている自分がいる、それぐらいの考えが丁度良いのかなと思います。仕事で失敗しても、仲間との出世レースから脱落しても、仮にクビになっても、笑って「そんな時もあるわ」って思える方が人間らしい。そしてそんな人間の方がタフだろうし、結果的に生み出すものも大きいんじゃないかと思う。

 

もっとプライベートと仕事をシームレスにしたい。一週間の中、週休二日なら土日が解放された休みで、残り5日はほぼ奴隷みたいな感覚から抜けたい。なんなら7日間中ずっと休みで、休みの暇つぶしの一環で仕事を真面目にやるって感じにしたい。繰り返すけどそれぐらいの気持ちの余裕を持った方が生み出すものも大きい筈。「仕事はしなきゃいけないもの」って意識から、少しだけ解放されたらみんな楽になるのにな~って、ずっと束縛されてた私が言える事でもないのに、そんな事を思いながら帰りましたとさ。

 

で、渾身のグルメレポートの件ですが、仕事してる時にたまに食べた和歌山ラーメンの店は何時ものように其処にあって、何時ものような味でした。特別上手くも不味くもなく、何時もの普通の味でした。グルメレポート終わり。

 

かしこ。