書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

異世界を求めてる

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バイクでツーリングしてると、寄り道したり、行先を急に変えてしまう事が往々にしてある。車以上に景色が目に入りやすく、気温や風を感じやすいから、気分も変わりやすい。これはバイクに乗る醍醐味、メリットでもあるし、よくバイクが自由の象徴として、繋げて語られる理由も、この辺にあるような気がする。

 

高揚感いっぱいに、どんどん進む。路面を滑るように自由に走り、見た事がない物を見て、感じて、今まで無い刺激を受ける。殊の外の幸せを感じながら、無敵感すら感じる。

 

でもそのまま突き進んでるうちに、ふとある時、急にそこが異世界のようになる瞬間がある。日本の地方だし、日本人だらけで、日本語にまみれてて、店も商品も見慣れた物。それなのに異世界間を感じる、何処か知らない外国にいるような感覚になる。

それまで高鳴ってた高揚感が一瞬に冷めて、その異世界感が襲ってくる。

 

異世界を感じたら離脱の時。でも時計を見ても、どれぐらいで家に帰れるかわからない。そもそも迷わず一発で帰れるか自信が無い。勿論スマホもあるし、Googleマップで調べる事も出来るし、事実そうする。でもそういう理屈じゃない。

ここから異世界との孤独な闘いが始まる。

 

車では同じ感覚には見舞われない。車で遠出して、予期せぬところに行ったとしても、密閉された絶対的な自分だけの空間であり、外とは遮断されているから、そこは異世界にはならない。車の車内は完全に自分のテリトリーで、侵されない絶対領域異世界で無いから強気になれるし、何時間かかっても、どれだけ迷っても別に構わないと思える。なんならそのまま、何処かのホテルに宿泊してもいいってぐらいに余裕。

 

でもオートバイは違う。むき出しで、その異世界に自分は身を置いてる。味方は居ない、自分一人、孤独な一人。空気も、独特なその景色の匂いも、流れる風も、気温も、全て圧倒的な勢いで、異世界に身がある事を思い知らせてくる。異世界で独りぼっちという事実との闘い。無心で離脱しながらも、本能に近い感じで来た道を戻りつつ、より近く、より安心できる道が無いか探り、気が付けばルートが変わってる。生物としての帰巣本能がちゃんと働いてるし、その凄さを感じて、信じる。

 

異世界との闘いの末、見慣れた街や道を見たら、急に安心して、冷静な出発前の自分に戻る。空気も、景色の匂いも、流れる風も、気温も、全て知るもので安心感で包んでくれる。時間の感覚も戻り、あとこれぐらいで戻れるなと、見積もりも立つ、それもほぼ正確な見積もり。例えその街や道が家から4,50キロ離れてようがそう思える。そこから異世界は精々2、30キロ程度しか離れてない。でも距離では測れないものがある。

 

異世界は、一度制覇したら自分のテリトリーになる。見た事のある、安心できる景色と道に代わる、知れた景色と知れた道になる。だからその景色と道では、異世界はたった一度だけ。異世界が知れた場所に変わっていく。

そしてそこからまた足を延ばして、また異世界に飛び込んでいく。これを少しづつ、何年も何年も繰り返して、自分のテリトリーが広げながら、異世界を冒険し続ける。

 

ツーリングは異世界への冒険。

異世界を何処かで求めてる。