UESUN’s blog

40前半のおっさんです。バイクとビール好き。

メメント・モリ

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本棚に唯一置いてる写真集は、景色や芸術品のそれでも無く、ましてや女優さんのでもない。生と死に関するもの。忘れたころに読み返してる。

生と死とは何ぞや?って、みんな中学生ぐらいの時には考えるっていう。考えると、怖くて眠れなくなったとかもよく聞く。でも大概みんなある程度のとこでそんなの考えなくなるし、多分それが正解だと思うんだけど、ホンの少しだけそこに興味がまだ残ってて、ちょこちょこその手の本を読んだり、極々たまに考え込んでしまう。色んな考え方、捉え方を知ったし、自分の生き方とかポリシー形成に確実にそれらが役にも立った。でもどれだけ本を読んでも結論なんか出ないし、出たら出たで宗教家デビューできる。まあでも、教祖様で金儲けまくりでウハウハと思ってしまう時点で、まともな宗教家にはなれそうにないけど。

 

高校生の時、図書館で「メメント・モリ」と言う写真集を偶然見てしまって、結構な衝撃を受けた。メメント・モリとは「死を想え」というラテン語の警句。その写真集も、「死と生」がテーマで、人間も動物も植物も死んだらおしまい、でもそれはそれでいろんな意味がある、そこからまた命がはじまるというもの。生々しく、幻想的な写真と、そこに添えられている詩に、息が出来なくなるぐらい引き寄せられた。ガンジス川で荼毘に付される亡骸や、動物に食べられる亡骸もぼやかさずそのまま、その写真についてる詩が「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」。今でもよく覚えてる。

 

その時はこの本のテーマに相対する勇気が無く、無理に手元においても、おかしくなりそうで怖くて手に入れなかった。後に大人になり、それが藤原新也という有名な写真家の作品なのを知り、たまたま10年ぐらい前にこの本が新装版で出たタイミングで手に入れて、それ以来偶に読み返してる。

 

特に好きなのが、

 

「死は生のアリバイ」

 

「死というものはなしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最期のときの何時かの瞬間を、ヒトは決断し、選び取るのです。だから、生きてるあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい。」

 

「死とは死を賭して周りの者を導く人生最後の授業」

 

の3つ。

 

あと、最後の結びに、「この本は、汚れれば汚れるほど良い。聖書やコーランのようにいつでもどこでも何年も暇があれば汚れてメロメロになるまで読んで欲しい。そしてその結果、写真や詩を、いくつ感じ、幾つ解釈し、幾つ乗り越えるだろうか。」とあるのも気に入ってる。俺のはまだピカピカなので、もっと読まないとと、毎回思う。

 

身近な人の死を前にして、人は死を知る。俺も初めての身近な人の死は、父方の祖母で、次に母方の祖母、母方の祖父。何の予兆も無く急にだったり、あまりにも脆くあっけなかったり、徐々に予想通り弱っていって予定通りの大往生も。炬燵の中だったり、施設のトイレだったり、家の布団の中で眠るように逝かれたり。

 

訪れるタイミングにあたっては、色々すぎて、何か特別な知らせみたいなのがあるとは思えない、あっても気が付かない。普段は隠れているだけで、本当はそれだけ日常に死というのはあって、ふとした瞬間圧倒的なインパクトで目の前に出てくるだけ。

 

皆、死に方や死んだ場所は違うけれど、全員違う事を教えてくれた。人生の先達が最後に生とは何かを死を通して教えてくれる。

 

人の死は生とは何かを対照的に浮かび上がらせてくれる。死は与えられるのではなく、自分で行使するものなんだと思う。生が生足らしめるのは、死があるから。死も込みで生だから、死には立派な意味があると思う。

 

なんと死とは生きてる事を輝かせることなんだろう。

言葉のやり取りについて

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自分が見ているものと、他人が見ているものが同じなのかどうかわかんないって、子供の頃からずっと思ってた。例えば自分が見て赤と思う色があって、他の人も記号としての言葉で赤というけれど、でもその赤って本当に「自分と同じもの」が見えてるんだろうか。

 

その他の人が見て発する記号の「赤」は、自分の見ている「青」や「緑」みたいな感じなのかもしれない。でもそれを確認出来ないし、多分ずっと証明できない。自分の体にその他の誰かが乗り移るか、脳と感覚器の眼を共有して初めて同じかどうかわかる。

 

こんな事考えるの自分だけじゃないのかとその時は思ってたけど、大人になってから、哲学的な問題として割とメジャーな話なんだと知った。

 

これって言葉もそうなんだなと思うし、それを意識すると、怖くてたまにしゃべれなくなる。

 

料理の味を聞かれて、「美味しい」と答えても、そもそも美味しいって表現している感覚は、他の人と同じなんだろうか。他の人は、俺の言う美味しいという感情を表現する時、体の中で爆発するような感覚があるのかもしれない、脳天に稲妻が落ちるような感覚があるのも知れない、俺だけがないだけで。俺は物を食べて、味わった際、何とも言えない快感と言っていいのか、何か幸せを感じる感覚を感じた時、「美味しい」というけど、皆はどうなんだろうか。

 

暖かいとか、寒いとか、温度のような数値で表せることもあるけど、それだってどう感じるのはあくまでも主観だから、結局無意味。全部全部、ぜーんぶ、こうなる。

 

相手に伝わるか曖昧な形で発信せざるを得ない、相手からも曖昧な形でキャッチせざるを得ない、曖昧な形で自分の中に取り込まざるを得ない、で、また曖昧な形で発信せざるを得ない。

 

言葉のやり取りで、自分の思う感情や意志を、完全に伝える事は出来ない。結局人間孤独なんだな~って何時も思う。

 

それでも言葉のやり取りで、互いにずれを修正し合って、伝わる事を80%を90%に、90%を95%に、95%を99%には出来るかもしれない。

と、同時に、10%のずれ、5%のずれ、4%のずれを許し合いたい。そしてそれを許せるから、人にやさしくなれるんだとも思ってる。

 

だから言葉をやり取りする事って、骨が折れるし、大きく間違ったら変な事にもなるし、ハッキリ言って疲れるけど、俺にとっては大切な事。

 

こんなこと考えるのどうかしてるのかもしれない。そしてこう考えてしまう俺は、あんまり社交的じゃないんだと思う。

 

それでも言葉のやり取りしかわかり合う事はできないと思うので、これからもどうか皆様お付き合いくださいませ。

狙って1位を獲る

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物事を成す時にあまり1位とか1番と言うのを意識しない。ただ自分のベストを尽くしたいという達成欲は旺盛で、回りとの闘いより、自分との闘いで過ごしてきた結果、1位になったこともあったし、それなりの評価も受けてきた。

 

1位になる、それ自体が目的になってしまうと大きな成長は無いのかなと思うし、それが叶わなかったときの虚しさと悔しさと言えばハンパでは無く、意識して目指した事はなかった。自分のベストを尽くすという考え方はとても気に入っているし、今後変えるつもりも無い。

 

でも今年はどうしても1位にならないといけない事情があって、夏の終わりぐらいから決意して、ずっと一人で努力をしていた。きっかけは夏頃に転職を失敗したことから。それも1回落ちて、お情けでもう一回チャンスをもらっても駄目だった。畑が全く違い、やる内容もまるで違う業種なれど、憧れの会社だったので、それなりに努力したけどダメだった。今までの実績も自信があったのに、それら積み重ねてきたものが全部否定された気がした。

 

負けた。ボロボロと言えばオーバーだけど、その頃は自分なりにかなり凹んで荒れた。一通り凹み尽きたその結果、その無くした自信を取り返すのが、意識していなかった「狙って1位を獲る」という事に落ち着いた。と言うか、それを成すぐらいしか、この「負け」の解決方法がわからなかった。

 

また、2015年に億越えの売り上げを競う中、年度の最終日の夕方に100万弱の差で逆転されて負けた事がある。その時は自分もベストを尽くしたので、そんなに悔しいという思いは無かったけど、なんか自分で自分に腑に落ちないところがあったのも事実で、その理由もわかるのかもと思ったのもあった。

 

先に今年を振り返ってみても、顧客に対する活動の質を変えたとか、かける時間を変えたとかは無いんだけど、狙って1位を獲ると決めてから、社内に対する目と意識が明らかに変わった。

 

9月ぐらいまで成績はボチボチながら、大体ライバル的な人が2人程自分の売り上げを追いかけてきていて、それなりに秋の頃は気が抜けない時期だった。秋を過ぎて冬に入ったころ、ライバルのうちの一人が付いてこれ無くなり脱落で、以後一対一の戦いに。お互い何も関心がない顔をしているけど、コッチも向こうもやる気十分なのは言わなくてもわかっていて、普段は仲が良いけど、このぐらいからお互い連絡が無くなってしまう。

 

また俺が所属している西、ライバルの東で部署がわかれており、その上同士もやり合っており、結果的に西東の代理戦争のような感じに。箝口令が自然と引かれた感じになって、お互いの情報なんか入ってこず淡々と月日は進む。

 

この頃から緊張感と集中度は常にMAXで、1日終えて売り上げを確認する時は目が血走ってたと思う。常に俺が有利で進めていたけど、2015年のトラウマから、油断なんて全く出来ない。今回ライバルになった彼とは普段は本当に仲が良いのに、疑心暗鬼にもなるしお互い消耗していたと思う。

 

冬に入ってからは、なんだかんだ運も味方してくれ、普段ならあり得ない大型案件が凄い勢いで決まっていった。流石にこれは決まったと思いつつも、やっぱり2015年の悪夢を思い出して、直ぐに気持ちを引き締める。毎日毎日「今年はイケるのでは」と油断しそうになるのをどうにか必死でとどめていた。

 

そうこうしているうちに、年度内最終締め日の12月26日が近づく。在庫が出荷されて初めて売り上げ、でもその金額をどう売り上げるのか。この辺は心理戦にもなり、戦略的にどう動くのがベストなのか凄く悩む。一気に全て上げるのか?、はたまた分割して上げるのか?、上げる日は何時がベストなのか?先に全部出したら、ひょっとしたら向こうも隠し玉を出してきて、最後に上回ってくるかもしれない。分割で行くにも、相手を少し上回る金額で上げ続けたら、いらぬ闘争心を掻き立てて面倒な事になるかもしれない。等々、色々あって本当に毎日悩んだ。

 

西のTOPは勝手にもう勝ったもんだと思い込んでて、気楽な事を言ってきたりするけど、緊張の糸を絶対に切らさず。

 

一番孤独で誰も信じなかったのはこの頃。この賞レースに関してはとにかく誰にも口を挟ませないよう、自分で全て決め、売り上げに関しても全て自分で決める事を強く決意。

 

結局決めた戦略は、最終日に一気に全て売り上げ引き離すという事で、最終日の2日前から意図的に売り上げを停めるという作戦。向こうにはもう弾切れと思わせつつ、最終的に一気にまくる作戦。最終日まで気が抜けなかったけど、どう転んでも一番悔いが無い作戦はこれしかなかった。

 

結局そのやり方で西のTOPにも了承頂いていたものの、最終日前日に営業部TOPから、「十分売り上げが上がったから、残り溜め込んで半分は来年に回せ。」と言われて、頭が真っ白に。いやいや、それでもし賞レースで負けたらどうすんの?という事で、すさまじい剣幕で抗議して、ようやく万が一負けそうな流れになったら、全て躊躇なく売り上げるという許可を頂き最終日を待つ。

 

迎えた最終日は朝から気が気でなかった。やっぱり向こうも隠し玉があったけど、コッチも想定している範疇にあって、その倍返し位の数字を入れ、一気に引き離し、総合1位を獲って終了。

 

営業部長に来年に回せと言われた数字はそっくり手を付けずそのまま来年度に回すことに。拘った総合1位だけど、同時に他に設定されていた部門も全て俺が1位を獲った。何回も何回も最終データを確認して、総合含め全て1位を確認。一気に力が抜けて、嬉しいのかそうじゃないのか、暫くよく分かんない状態だったのも本当のところ。でも、営業部長も、西のTOPも、西の仲間も、最後競いあったライバルからも「おめでとう」の連絡をもらって、終わったことを確認できた。

 

メンターな方に先ずは報告して、その後、特に今年世話になった人何人かに直接伝えてようやく望んだ通りになったのだと、実感が湧いた感じ。

 

望んでいた自信は取り戻せたけど、念願の「1位を狙って獲って」みて、やっぱり俺にはこのやり方は向いてないなとも思う。今まで通り、ベストを尽くした結果が1位だったの方が自分の精神衛生的にも成長戦略的にもいいと思う。

 

これをアップして1時間後には年度が替わり、また2018年の賞レースが始まるけど、昔の時のような虚しさは無く、また楽しく頑張ろうと思えてるんだから、成長出来てる証だと思いたい。

 

因みに、最後の鞭は足の骨折ってからなので、油断するな、最後まで気を抜くなと、足の骨折ってくれたのは神様なのかもしれない。
でも神様、折角の正月休み、バイクに乗れないのは困ります。

それでも運に恵まれ感謝しています。

神様、メンターの方、皆様、ありがとうございました。

昔を肯定する事

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この時期来るハガキって、DMでなければ、ほぼ「喪中につき年賀状送ってくるなよ」の案内なんだけど、今年もそれが来た。他にも来るのかどうかわからないけど、とりあえず今年の1枚目が来て、あーもう年賀状のシーズンなんだなって、年末の始まりなんだなって感慨、この時期毎年繰り返してる。もう何年も年賀状なんて出してないのに。

 

で、誰からかなと思ったら、最初の会社で俺の上司だった方からで、お父さんが無くなられたとの事。当時30歳位で、若くとても営業成績優秀な体育会系な方だった。今でいうブラックな職場だったし、その方には随分シゴかれたけど、営業のイロハを教えて頂け、目も掛けて頂いていた。アワードも取らせてもらえたし、その時心の底から喜んでもらえたのは忘れていない。最後、鬱で俺が辞める時には、お互いまだその年齢故に上手く接する事ができなかったけど、それでも凄く世話になったなって印象しかない。もう15年近く会ってない。それでもこの手のハガキは届く。

 

あの時、結果的に鬱になって仕事を辞めて、転職を繰り返して、良くも悪くもいろんな経験をして今があるけど、その会社に残ってたらどうだったのかなと、たまに考えてしまう。今迄はその問いに対してネガティブな答えしか出てこなかったし、ブラックで疲弊した事ばかり、鬱に陥ったことをその会社と環境のせいばかりにしてきた。その経験に憎しみがあったし、忌み嫌ってそこで経験したことは無かったことにしたがってた。得たものも多かったのに、それだけ切り離して記憶してて、嫌な事全て会社や環境のせいばかりにしていた。 そしてそんな屈折した気持ちと、そこから来る劣等感を成長するためのモチベーションにしてきたけど、もうそれだとしんどくなってきた。それで成長するにはもう限界が来ているのも自覚もしている。

 

だからって訳でも無いんだけど、ここに来てようやく、あの時の自分も、会社も、周りのその他諸々も、自分の中で認めてあげたいと思うようになってきた。その延長で、「転職して正解だった、残ってたら地獄」みたいな言い方で、間接的に昔の自分と昔の会社を乏して、今だけを肯定していた事をもうやめたいと思う。残っていたとしても、今と違う価値観で楽しく成長出来ていたと思うし、そう信じたい。昔の自分も肯定してあげたい。

 

丁度先日、仕事でその最初の会社に勤めていた時の担当地域を通ったけど、やっぱり社会人初の会社と仕事、その担当地域は特別で、良くも悪くも仕事に対する土台はこの時築かれてる事を改めて意識させられた。今の仕事上での判断もこの時の基準が自然と頭に出てくる。やっぱそこは、仮に天変地異が起こってAmazonAppleに転職したとしても死ぬまで変わらないんだなって、強く噛み締めながらその時は通った。そしてその経験を自然と感謝できるようにようやくなれた。だから今に繋がってる昔の自分を、やっぱり肯定してあげたい。

 

昔書いた事に、「避けててた京都が好きになるような生き方が出来れば、人生成功してるってことでしょう」って書いたけど、最近京都が好きになってきた。

 

もっともっと好きになれる様、頑張ろうっと。

ムクゲの花が好き

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不愉快な事をされたり、言われた時って、「された行為」と「行った人」が対になって記憶に刻まれてて、文句を言ったり反論するにも必要以上に力が入ったり、何時までも許せなかったり。

 

でもその「された行為」と「行った人」を分けて考えたら随分楽になった。

 

同じ不愉快に思う事でも、信用していた人にされるのと、どーでもいい嫌いな人にされるのでは、受ける印象も違う。身内にされるのと、赤の他人にされるのもまた違う。先輩後輩でも、性別でも、年齢でも違う。対で考えてしまうと、その行為や言葉の意味が歪められたり、変数みたいのが掛けられてしまう。

 

結果

 「お前になんか言われたないわ」とか

「何も知らないくせに偉そうに」とか

「どうして俺の事認めてくれないんだ」etc...

とか、ありがちだった。

 

言われた事、その指摘に大きなヒントがあったりするのに、そこに至る前で止まってしまったり、逆に1秒でも悩むのがアホらしい、ただの中傷が重荷になって、後々まで考え込んでしまったりで、メンタルも時間も勿体無いなって状況が多かったような気がする。

 

でも分けて考えれたら、純粋にそのされた事、言われた事の意味を、正面切って考えれるようになった。

 

結果、「まー別に俺は該当しないし、俺には意味のない事だし無視だな」とか、逆に「これはこれで正論だから受け入れよう」とか、「悪意全開、ほっとくと後々面倒だからちゃんと反論しよう」とか、割と意味のある、先を見た判断を出来るようになった。つもり。

 

受け入れるべきことは受け入れ、違う事は違うと伝える。もしそれでも届かないような相手は「輝かしい人生を無駄にするミジンコ」だと思うようにしとこう、そうしよう。

 

人に変えられるんじゃなくて、自分で変わる人生を歩みたいですね。

斜め上を目指したい

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「夢ってのは呪いと同じなんだよ。呪いを解くには夢をえなければ。でも、途中で挫折した人間は、ずっと呪われたままなんだよ。」って好きなドラマでの名台詞、もう10年以上前だけど、物凄く印象に残ってる。

 

夢って大きく出ていいのかわからないけど、やりたかった事とか、入りたかった組織とか、もっと仲良く慣れたらよかった人とか、それなりに歳を取ったので、叶わなかった事が同じようにそれなりにある。それを夢と呼ぶのだとして、全部が全部では無いけど、叶わなかった夢の方が多い。

 

叶わなかった逆鏡をバネにして成長できたと思うし、今とりあえずは食うに困らない生活を送れ、贅沢は出来ないけど好きな趣味にお金を使うぐらいの余裕もある。だから逆鏡からのバネ的なものは否定しない。

 

でも俺にとって、逆鏡からのバネって「復讐」に近い感情で、自分で昔の出来なかった自分へ復讐する感じだった。「人は人、俺は俺」と思うようにしていても、理屈で思うようには割り切れなくて、自分で出来ない自分を憎んで恨んできた。

 

あの大事な時に何故勝てなかったとか、あと少し粘り踏み留まるべきだったのにとか、勇気を出して何故とことん話をしなかったんだろうとか。たまに考えてしまって「自分への復讐心」をその都度溜め込んできたと思う。

 

ずっとそれだけだと辛いというのも薄々わかってはいたけど、甘い自分への戒めとして見て見ぬふりをしてきた。その時なりにベストを尽くした自分を全然肯定してこなかった。殆ど自分への虐待だった。

 

でも最近、ようやくそんな出来なかった今迄の自分を認めようと思えてきた、認めてあげようという気になって来た。それはそれでいいじゃないと思えるようになってきた。自分が弱いから、成せなかった自分から事から目をそらして、認めたくなかったから、「復讐」っていうコンプレックスにしていた。でもいい加減メンタルもしんどいし、弱い自分を認める事が、もっと強くなることに繋がるとも思うようになった。

 

出来なかった時、叶わなかった時に、復讐心で応えるのではなく、受け入れて「いなす」ようにしたい。起きた事は起きた事として受け入れる、それに対して理想の動きが出来なかった自分を認めて「いなす」という、そういう人生の進め方に変えていきたい。

 

打ち返しつつも、斜め上とかちょっと軸を変えて返したい。斜めに行った分が俺が生み出した新しい価値なんだから、そっちの方が意味あるんじゃないかなと思う。で、どれだけ斜めに行くかが、見せ所。

 

という訳で今後は斜め上を目指す男という事で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みに冒頭の台詞は仮面ライダー555の第8話。

知らない人は、Amazonでもなんでも検索して座して見なさい、正座して見なさい。

カレー考

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火曜日カレーを外で食ったんです、外食でカレー。偶然その前日の月曜もカレー。これは友達が手作りしてくれた、豆とトマトのカレーで凄く美味しかったけど、今回の話とはまたちょっと趣旨が外れるので別の話。とにかく火曜日、一緒にいた人との成り行き上、選択肢が他になくカレーを外で食べたんです。カレー自体食べたのって、その月曜日除けば2年以上振り。いわゆるココイチで出てくるような、白米にじゃがいも、ニンジン、牛肉な、日本的なカレーでは無く、スパイスの利いたインド的なカレーで、ターメリックライスにルウの掛かってる洒落てるやつ。有名な店らしく、その名に違わず美味かったです。

 

カレーって外で食べない。随分昔、社会人になってちょっとした位の時に偶にココイチに行ったりした位で、20半ばには外で食べないようになった。自分の中で外で食べるものじゃないと思うし、今後も多分それは変わらない。外食でカレーという選択肢はなんか違うというか。

 

家庭で食べるカレーと、そのほかの世の中にあふれてるカレーって別物なんだと思う。でも意外とそういう人って多いんじゃないだろうか、実際、家のカレーと外のカレーは別物なんだって話をして、盛り上がったことも何回もあるし。ただ別物とは思っていても、外のカレーはカレーで美味しく食べる人が殆どで、「カレーは家庭料理原理主義」な俺が特別で少数派なのも自覚してる。

 

筑前煮とか肉じゃがとか、ロールキャベツとかハンバーグとか、ナポリタンスパゲティとか色々好きな物はあるけど、ことカレーに関してだけは家庭料理原理主義意識が強い。ここまで言った以上、自分にとって母親の味がカレーだというのは言い訳出来ないし、するつもりもない。特別なスパイスを使ってたわけじゃないし、普通にその辺に売ってる固形ルウを普通に使ってただけなんだけど、やっぱり俺にとって美味しいカレーって、どこの高級有名店のカレーより母親のカレーなんだなというのは間違いない。

 

小3の頃、遊び疲れて、殆ど寝かけな状態で、何の心配もなく食べたカレーの美味しさは覚えてるし、反抗期の中学生の時も、家族でカレー食べてる時は、自分でも笑いながら食べてたのは忘れてないし、大学受験前のイラついた気持ちで食べつつも、妙に平常心を取り戻せたカレーはやっぱり美味しかった。いろんな料理を作ってもらったし、どれもこれも美味しかったけど、なぜかカレーはセットで思い出がある事が多い。

 

母親が作るカレーが、単体の料理としても美味しいのは美味しいんだけど、やっぱりそういう暖かい家庭での感情とか、雰囲気と一緒に食べるから特別美味しいんだろうし、「カレー=そういう思い」が強くて、外で食べるとそれにノイズが入りそうで、外食のカレーはあまり食べたくないんだろうなって思う。人にはそういう特別な料理があると思うけど、俺はたまたまそれがカレーだったという話。

 

俺の年を考えると、あと何回母親のカレーを食べることが出来るんかなーって、ふと火曜日カレー食べた時に考えてしまった。こういう事言うとマザコン扱いする奴いるかもしれないけど、そんなのどーでもいいわ。