UESUN’s blog

40前半のおっさんです。バイクとビール好き。

考える事と書く事について

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先日、文章を書いてアフェリに誘導して、そこで収入を得てる人の話を聞いた。よく聞く話だし、それがメインの話じゃなかったんだけど、何故かそこが強く残ってる。需要を意識して、それを満たすよう、礼儀正しく受け手に届くように書く。そういうのをしっかり戦略的にやれる人を尊敬する。普通に凄いなって感じ。しかも楽しんで書いてるというんだから、言う事ないでしょう。やれって言われても俺は出来ない。俺はただただ頭の中で思ってる事をダーって書き殴る事しか出来ない。

 

頭の中で考えるだけだと、都合の悪い事は無かったことにしてしまったり、考えたい事だけ考え、詰めていってそれで満足してしまってる。

 

実行するための前提条件抜かしたり、見たくない障壁をスルーしてたり、行動を起こしたら出てくるであろう副作用も考えなかったり。何が怖いって、それが全部無意識で頭が勝手に考えてること。だから結局、ただ考え、それをこねくり回して、形が変わっただけでまた考えだけが残るような、考えが外に出ていかないような感じと言うか。粘土をこねくり回して、形は変わるけど、所詮粘土は粘土で終わるようなもの。この表現で伝わってるかわからないけど、そんな感じがするのです。

 

でも書いて言語化すると、無茶苦茶な考えを一応は筋道立てた形にしないといけない。そうしないと言葉と言葉が繋がらないし、文章にならない。で、あれやこれや修正したり、表現を具体化したりしていくうちに、当初頭の中で考えただけの結論と少しずつ変わっていく。

 

言葉と文章を書きながら、読んだ言葉と文章に、その都度自分が影響を受けてる。

 

思考の結果が言葉の筈なのに、言葉が思考に影響を与えてしまって、変わってしまうし、変わらざるを得ない。それって書くことによって考えが進化してるのか、意図せぬ違う方向に行ってるのかわかんないけど、頭の中で思ってただけの物のとは明らかに違う。ああ、自分は本当はこう思ってるんだ、とか驚かされることが結構ある。自己対話の方法が俺にとっては書く事かもしれない。だから書くことは楽しい。

 

書いたものを外に公開しようと思ったのは、そんな風に思ってるとボソッと打ち明けた時、「それは絶対ネットにアップしろ」と言ってくれた人がいたおかげであり、Facebookからブログにしたのは、「Facebookだと流れていってしまう、纏めて自分用のブログにしないと後々きちんとした形で残らない」と言ってくれた人がいるから。

 

人様に見てもらうために、最低限の見栄えを気にはするけど、自分向けでノートに書き殴っていたものから最低限しか手を入れない。どれもこれもしょうもない事書いてるし、言葉使いは乱暴。でも品行方正な文章なんか書けないし、無理やりそういう風にしてしまうと、なんか自分の考えでは無くなりそうで嫌。プロの方々はそういう心配りをやるべきだろうけど、俺みたいなド素人は勘弁してほしい。何より自分自身が面白く無いし。

 

そんな感じで書いているのであまり反応とかは気にしないようにもしてるんだけど、公開コメントでは無く、たまーに感想を個別で投げてくれる人がいて、そういうのがこっぱずかしくも凄く嬉しい。公開されるコメントじゃないから突っ込んだことも書いてあったり、具体的に此処が良かったみたいな指摘なんかもらうと、殊の外嬉しい。別にこれからも役に立つことは書くつもりも無いし、書けないと思うけど、なんかそう言うのは励みになるなーと思う。

 

でも先日、「読んだら風邪が治り元気になりました」ってのが来て、流石に驚き筆を執った次第でありました。

 

それは無いな、でも、ありがとう。

 

かしこ。

雷門から再スタート

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いやーまいった、久々に本当に何もやる気が出ない。エネルギー ぜろぱー。こうして書く事もおっくうだけど、これすらしてなかったら本当にソファから動けなくなる。リハビリがてらに書きなぐるという、インターネッツの世界でこうしてまたゴミが一つ生まれていく。

 

なんかさー、色々あるやん、人付き合いって難しいでしょ、相手がいる事だから。コッチが死ぬほど、気が狂う程考え、想いをのせて言葉を投げても、それが何か影響を与えれるかどうかなんて、あちらさんの匙加減一つだからね。あまりにも無力、想いを言葉で届けれない己の無力。ありんこ一匹が肩に触れただけでも人間違和感を感じるのに、想いが届かない時はホント届かない。この時点で俺はありんこに負けている、無力、絶望しかない。

 

人間は言葉で戦わないといけない。それこそありんこどころじゃなくて、象に踏みつぶされるぐらいのインパクトを、僅か2,3秒で与える事が出来るのは、想いの乗った言葉しかあるまい。2,3行の必死で想いを紡いだ文章の一つ一つの言葉こそが、鯨の背中でサーフィンするかの如くインパクトを与える事が出来る。

 

昨日書いた高々600字程度の文章、素で書けば4,5分でたらたらーって書ける雑文。これを云々唸って、冗談抜きで100回ぐらい書き直し、手直しして、無遠慮に投げつける。それでも全部あちらさんの匙加減一つ。儚いなと思う。でも儚いからこそいいと思う。

 

俺はありんこではないから、想いを言葉で投げることしかこれからも出来ない。まあ俺も生きてるってこった。何かよくわかんないけど。

 

追伸

今弱ってるのでおごりがいがありまっせ。

お持ち帰られちゃいまっせ。

拒まないので。

昨日の人へ

 

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友達の少ない俺なので、LINEやメッセンジャーは割と決まった人としかやり取りしないんだけど、たまーに間隔を空けてくれる人から、「話があるから電話する」とのメッセが。なになに?、とばかりに「いーよ」と伝えて掛かって来たのが「別れそうだけど、どーしたらいい?」と。いや、あのねと。ちょっと俺の事知ってるのと。俺にそういう話題を振るのは、松本人志に笑いで勝つにはどうしたらいい?って聞くようなもんですよ。無理。ただまあ話は聞きますよ、そして答えますよ、それは頼られたのだから。

 

聞いてる風には、何となく「先はダメっぽいし、こちらのプライドも許せない」という口振りとは裏腹に、本人は気が付いてないけど未練タラタラとも取れたので、「諦めるな」と伝えました。

 

もうさ、こういうのはしょうがないの、好きになっちゃたんだからしょうがないのよ。這いつくばって、土下座してでもいーやんかと、全面降伏でもいいやんかと。繋げば望みがあるわけでさ。繋いで繋いで、元の良かったころのレベルに引き戻ってから、その時ようやく「あん時はしんどかった」と言えばいいじゃないかと。だから一時の感情で叩き切るのは良くない、そして相手にもそれを言わせぬよう、そこまで追い込んではいけない。万が一の万が一、ここで切れても復活という目もある、だから此処は何卒穏便に、あちらさんを追い込まずに、堪えて凌げ的な事を訥々と言ってやりましたよ。

 

ほしたら「なんか想像と違う、あんたは多分とっとと切れ馬鹿野郎と、新しいの沢山おるわ。」って返してくるのかと思ってたと言ってきて、えらい驚かれました。

 

 

まあでもこういうのわかんないしね。そんな感じで簡単に切れたら、それは今までが嘘だったって事でしょうって、個人的には思う。そういう切れるような縁もあれば、どろどろと理屈じゃない縁もあるんだろうけど。これはもう俺の個人的な意見でしかないのだけれど、どろどろの方が人生幸せなんじゃないかと思う。いいやん、俺達は人間で生き物なんだから、ロボットじゃないんだから、そんな事もあるだろうと。

 

「時間もらえないでしょうか」

 

と言われれば待とうじゃないかと。

その価値があるんじゃないかと。

その価値を認めさす自信があるわと。

 

と、まあこんな塩梅という事で。

棚卸

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これを書いてる時点から遡って、一昨日にまた1つ歳を取った。なんか勝手に自分は90歳まで生きると思ってるから、来年でちょうど半分。という事でこの1年は、その折り返しの1年後に備えて、「人生の棚卸」の1年にしないとな~って感じ。

 

プライベートはまた色々あるけど、取り敢えず仕事。

 

60歳で現役なんて当たり前、65歳でも勿論引退するつもりは無く、多分仕事が楽しいから死ぬまで何かしらしていると思う。で、その楽しいというのは自分にとって公園の掃除とか、駐輪場の整理とかじゃないとも思う(念の為、そのような仕事をされてる方を馬鹿にしてる訳じゃありません)。

 

今までは、小物ながらそれなりの山あり谷ありな人生で、好き勝手に面白おかしくやってきた。都度その時興味がある事、好きな事に舵を切り、進んできてキャリアを重ねてきた。凄く恵まれてて、ラッキーで幸せなキャリアだった。全く新しいゼロからの仕事でも、自分が楽しく、求められて、やりがいのある場所なら構わないと思っていたし、事実そういうアンテナも張っていた。

 

でも1つ歳を取った一昨日を迎えて、更に1年後には人生の半分を迎えるにあたって、そろそろ出口的な事を意識しないといけないなと。これからも新しい事にはチャレンジしたいし、するつもり。でもそれをゼロからやるには、もう時間切れだという事を、一昨日強く意識させられた。

 

今の仕事を今だけでなく、出口とリンクさせて見据え、適当な時期に軌道修正をしていく。そうするためにも今の自分は、先ず何ができて、今後何を新しくやる事が出来そうで、それがどの程度自分にとって楽しいのか、ハッキリさせないといけない。今までも考えなかったってわけじゃないけど、抽象的にほわんと頭に浮かぶ程度で、もっと具体的に出さないといけない。役職だけでなく、何を、どういう立場で、何処で、どういうスキルでやっているのか。今の会社じゃないかもしれないし、起業がベストかもしれない。それをハッキリさせるための、「人生の棚卸」を真剣にやりたいと思う。

 

勿論具体的にそれを描いたって、その通り行くなんて先ずないだろうし、途中でバンバン良い方向で変わる時も、悪い方向で変わる時もある筈。でもやっぱり考えて固めてると、そういう時でもその変化を受け入れるのか、抗うのかの判断も付きやすい筈。

 

この1年も面白おかしく生きていけるよう努力するし、運も味方してそうなる事を願ってる。でも死ぬ前にあの44歳の時に色々考えて動いたから、最後はこんな人生になったんだなと思えるような1年にしたいと思う。

 

 

 

追伸

10日程度は延長して受け付けるんで。

扉は何時でも開いてるんで。

一番搾り以外の、パンチの効いたもの、待ってます。

0勝1敗

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二か月前に憧れの会社へのチャンスを突如もらい、余計な事考える余裕と時間があるならそっちに集中しろという事で、此処にもFacebookにも殆ど何も書かずに、考えもせずにいました。そんで結果が出たので、二か月ぶりに帰ってきました。

 

負けた、惨敗。

 

その会社で勤めている心優しい友達が俺のためにチャンスを取ってきてくれ、考えられないくらい分厚い下駄履かせてもらって、そこからつま先立ちでジャンプして、ほんの少し見えたその可能性は、儚くも消えてしまいました。

 

って、ばりばりFacebookも見てたし、バイクも乗ってたし呑みにも行ってましたからね、その前後何も変わってない。カード会社から「やけに切ってますけど、大丈夫?」みたいな警告のメール来るレベルで、何時もの如く遊びほうけてもいた。

 

でも真剣に考える事はその事以外無かった。ずっとこのチャレンジの事しか考えてなかった。心の中のホンの少しの空きスペースは、常にその事を考えるために大事に大事に使ってました。仕事もなーんもしてない。呑んでてもその事が頭に出てきたし、忘れたのはバイク乗ってる時ぐらい。でももう終わった、取り敢えずは。

 

 この惨敗をどう考えるか。惨めだけど事実なんだからしゃーない。その事実をずっと惨めと思い続けるか、今後の糧にするかは自分次第だし、折角なら何か意味があったという事にしたい。

 

勝ち負けの「負け」をどう受け入れるかずっと悩んだけど、負けじゃなくて、0勝1敗だと思うようにしたい。負けで締めちゃうとそこで終わりな気がするし、0勝1敗なら、次の仕合に続きそうな気がする。本当に次の仕合はあるのかどうかはさておいて。

 

 

で、此処からが本番なんですけど、これが僅か一週間前の出来事という事で、私の内々の方々は暫く労わる様に。

 

何時もは何もいらない、受け取らない紳士過ぎる私ですけど、此処1,2週間は黙って受け取るから。奢りも断らないから、何なら三軒目の終わりにタクシーの運転手に万札渡して送って欲しい。

 

ボーナスの残りの有意義な使い方、頭のいい、身内の皆さんはわかってる筈。

梅田で待ってます。

選択について

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世の中で起こるすべての出来事、自然現象も人間が行う事も全て、その規模程度も全て単独では終わらず、必ず後の何かに影響を与える。

 

石ころが転がったら、土砂崩れになるかもしれない。石ころが転がって終わりかもしれないけど、空気はそれで動かされてる。正に「リオデジャネイロで蝶が羽ばたくと、数週間後にはテキサスで竜巻が起こる」(カオス理論、バタフライ効果)とかの話で、要はどんな些細な事でもそれが色んな事に変化を与えて、全く想像もしていなかった未来の出来事に繋がっていくというこの考え方が凄く好きだし、自分のどんな些細な選択でも、後の自分に大きく影響を与えてると思う。

 

例えば仕事中、ちょっと休息で車を停めて珈琲を飲んだとしたら、休まなかったら5分早く通り過ぎてた道で事故が起きて渋滞、予定していたアポイントに間に合わず商談失敗。その商談が上手く言ってたら他にも芋づる式に他の案件が口伝で出てきたかもしれないし、それが成っていたら競合会社にも評価を受けてヘッドハント、インセンティブでフェラーリ

 

 珈琲飲んだからフェラーリ逃した!は、雑な例えとしても、自分が都度都度選択した事は、全部未来の自分に繋がり降りかかってくる。単独では終わらない。

 

ホンの些細な何でも無いその時の選択が、後の出来事に大きな影響を与えるという事は結構聞く。たまたま偶然受けた些細なサービスでその企業のファンになり、そこに入社、出世して会社の方向性と世の中を変えたとか往々にして聞くし、その逆のような話も勿論聞く。自分も些細なタダの偶然で足繫く通う店が出来たり、好きになった商品なんて数えきれない。

 

 1つの選択がどのような結果であれ、ずっと先にその影響は続いていくし、派生でまた色々な選択が出てくる。確実な予想を求めるなんて無意味だと思うけど、それでも手持ちの情報で出来る限り望みの方向に進めるよう、自分なりに考察し、未来を考え、目標を定め、それに沿って努力してベストな選択をしていくしかない。但しそれはあくまでも自分が把握してる範囲でのベストであって、その裏にはその何倍もの把握できてない状況があり、本当のベストなんかじゃない事も理解しておかないといけない。本当のベストじゃない以上、未来は危ういと思った覚悟で物事に挑めば多少は余裕も出てくるし、結局何があっても対応もしやすい。予想外の事が起きても諦めもつく。そこまで考えて運を待つぐらいの方が、精神衛生上自分にはいい。

 

だから選択の時には、常に次にどういう流れが来ても動じないような気持でいたいし、予想は立てるけど予想外の事が起こっても当たり前な気持ちでいたい。そして納得できるようにも、出来るだけ自分には正直で、自分に優しい選択をするようにしたい。そういう選択をし続けていけば、これからも何となく乗り切れていけるのかなと思う。

同じでいて欲しい事について

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勉強させてもらったり、成長させてもらったり、何より楽しかったりするのは、違う意見とか見識に触れてそれを理解出来た時だと思う。ちょっと違ったり、自分からしたら変わった意見だったり、なんなら喧嘩にならない程度の言い合いをし合えるような人の方が接してても面白い。自分の努力や考えの延長で得られる知見以外の、想像もつかない刺激が欲しい。だから違う考えや趣味嗜好を持った多様性のある集まりでずっと揉まれていたい。

 

でも、自分に近しい人には、「これに関しては出来れば同じ考えや想いでいて欲しい」と思う事もあって、それはちょっとした本だったり、ある料理だったり、音楽だったり、凄いマイナーな漫画だったり。大したことじゃないんだけど、何故か自分には大切、琴線にふれる事がある。それを初めて体験した時には、「これに関しては同じじゃないと」ってすぐ気が付く、同じでいて欲しい事だなとわかる。無意識の内ながら、自分の歴史の中の積み重ねで好きになっていたり、譲れない確固たる意見になっていて、そうなってるんだろう。

 

頭が良ければ、何故それが同じでないとダメなのか多分説明出来るんだろうけど、自分はそれを上手く言語化出来ないし、したところで意味があるとも思えないからしない。「こうこう、こういう経験と考えで、これに関してはこう思うし、こういう志向ですけどあなたは同じでしょうか?違うなら最後までいれませんね。」なんて馬鹿な事聞けないし、聞こうとも思わない。

 

こういう話を身近な人にすると、それが価値観の違いとかいう奴じゃないの?とよく言われるけどどうなんだろう、なんかそれとはまたちょっと違う気がする。

価値観はなんかもっと人生で大事な選択とか、生き方の根本に関する事だと思うし、そんな大層な事じゃない。別に本当にどうでもいい事。でも価値観が違ってても、この自分にとって近しい人には同じでいて欲しい事が同じなら、その人とは物凄く合うと思う。

 

昔、うちの恩師が別れを切り出そうと思った、惰性の最後のデートの博物館で、何故かメインの絵じゃない、幾つもあるような絵に目が留まって、「これがいいな」と漠然と思ったら、相手も聞いてもないのに、何故かあの絵が一番印象に残って良かったと聞いて、やり直して、それが今の旦那さんと聞かされた。

 

なんとまあ出来過ぎた話って思ったけど、多分それはこの感覚と近いんじゃないかなとは思う。

 

言うてもその恩師、昨年から一人になっちゃいましたけど。

だから「同じじゃないと」はやっぱりよくわかんないです。

 

かしこ。