UESUN’s blog

40前半のおっさんです。バイクとビール好き。

昨日の人へ

 

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友達の少ない俺なので、LINEやメッセンジャーは割と決まった人としかやり取りしないんだけど、たまーに間隔を空けてくれる人から、「話があるから電話する」とのメッセが。なになに?、とばかりに「いーよ」と伝えて掛かって来たのが「別れそうだけど、どーしたらいい?」と。いや、あのねと。ちょっと俺の事知ってるのと。俺にそういう話題を振るのは、松本人志に笑いで勝つにはどうしたらいい?って聞くようなもんですよ。無理。ただまあ話は聞きますよ、そして答えますよ、それは頼られたのだから。

 

聞いてる風には、何となく「先はダメっぽいし、こちらのプライドも許せない」という口振りとは裏腹に、本人は気が付いてないけど未練タラタラとも取れたので、「諦めるな」と伝えました。

 

もうさ、こういうのはしょうがないの、好きになっちゃたんだからしょうがないのよ。這いつくばって、土下座してでもいーやんかと、全面降伏でもいいやんかと。繋げば望みがあるわけでさ。繋いで繋いで、元の良かったころのレベルに引き戻ってから、その時ようやく「あん時はしんどかった」と言えばいいじゃないかと。だから一時の感情で叩き切るのは良くない、そして相手にもそれを言わせぬよう、そこまで追い込んではいけない。万が一の万が一、ここで切れても復活という目もある、だから此処は何卒穏便に、あちらさんを追い込まずに、堪えて凌げ的な事を訥々と言ってやりましたよ。

 

ほしたら「なんか想像と違う、あんたは多分とっとと切れ馬鹿野郎と、新しいの沢山おるわ。」って返してくるのかと思ってたと言ってきて、えらい驚かれました。

 

 

まあでもこういうのわかんないしね。そんな感じで簡単に切れたら、それは今までが嘘だったって事でしょうって、個人的には思う。そういう切れるような縁もあれば、どろどろと理屈じゃない縁もあるんだろうけど。これはもう俺の個人的な意見でしかないのだけれど、どろどろの方が人生幸せなんじゃないかと思う。いいやん、俺達は人間で生き物なんだから、ロボットじゃないんだから、そんな事もあるだろうと。

 

「時間もらえないでしょうか」

 

と言われれば待とうじゃないかと。

その価値があるんじゃないかと。

その価値を認めさす自信があるわと。

 

と、まあこんな塩梅という事で。

棚卸

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これを書いてる時点から遡って、一昨日にまた1つ歳を取った。なんか勝手に自分は90歳まで生きると思ってるから、来年でちょうど半分。という事でこの1年は、その折り返しの1年後に備えて、「人生の棚卸」の1年にしないとな~って感じ。

 

プライベートはまた色々あるけど、取り敢えず仕事。

 

60歳で現役なんて当たり前、65歳でも勿論引退するつもりは無く、多分仕事が楽しいから死ぬまで何かしらしていると思う。で、その楽しいというのは自分にとって公園の掃除とか、駐輪場の整理とかじゃないとも思う(念の為、そのような仕事をされてる方を馬鹿にしてる訳じゃありません)。

 

今までは、小物ながらそれなりの山あり谷ありな人生で、好き勝手に面白おかしくやってきた。都度その時興味がある事、好きな事に舵を切り、進んできてキャリアを重ねてきた。凄く恵まれてて、ラッキーで幸せなキャリアだった。全く新しいゼロからの仕事でも、自分が楽しく、求められて、やりがいのある場所なら構わないと思っていたし、事実そういうアンテナも張っていた。

 

でも1つ歳を取った一昨日を迎えて、更に1年後には人生の半分を迎えるにあたって、そろそろ出口的な事を意識しないといけないなと。これからも新しい事にはチャレンジしたいし、するつもり。でもそれをゼロからやるには、もう時間切れだという事を、一昨日強く意識させられた。

 

今の仕事を今だけでなく、出口とリンクさせて見据え、適当な時期に軌道修正をしていく。そうするためにも今の自分は、先ず何ができて、今後何を新しくやる事が出来そうで、それがどの程度自分にとって楽しいのか、ハッキリさせないといけない。今までも考えなかったってわけじゃないけど、抽象的にほわんと頭に浮かぶ程度で、もっと具体的に出さないといけない。役職だけでなく、何を、どういう立場で、何処で、どういうスキルでやっているのか。今の会社じゃないかもしれないし、起業がベストかもしれない。それをハッキリさせるための、「人生の棚卸」を真剣にやりたいと思う。

 

勿論具体的にそれを描いたって、その通り行くなんて先ずないだろうし、途中でバンバン良い方向で変わる時も、悪い方向で変わる時もある筈。でもやっぱり考えて固めてると、そういう時でもその変化を受け入れるのか、抗うのかの判断も付きやすい筈。

 

この1年も面白おかしく生きていけるよう努力するし、運も味方してそうなる事を願ってる。でも死ぬ前にあの44歳の時に色々考えて動いたから、最後はこんな人生になったんだなと思えるような1年にしたいと思う。

 

 

 

追伸

10日程度は延長して受け付けるんで。

扉は何時でも開いてるんで。

一番搾り以外の、パンチの効いたもの、待ってます。

0勝1敗

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二か月前に憧れの会社へのチャンスを突如もらい、余計な事考える余裕と時間があるならそっちに集中しろという事で、此処にもFacebookにも殆ど何も書かずに、考えもせずにいました。そんで結果が出たので、二か月ぶりに帰ってきました。

 

負けた、惨敗。

 

その会社で勤めている心優しい友達が俺のためにチャンスを取ってきてくれ、考えられないくらい分厚い下駄履かせてもらって、そこからつま先立ちでジャンプして、ほんの少し見えたその可能性は、儚くも消えてしまいました。

 

って、ばりばりFacebookも見てたし、バイクも乗ってたし呑みにも行ってましたからね、その前後何も変わってない。カード会社から「やけに切ってますけど、大丈夫?」みたいな警告のメール来るレベルで、何時もの如く遊びほうけてもいた。

 

でも真剣に考える事はその事以外無かった。ずっとこのチャレンジの事しか考えてなかった。心の中のホンの少しの空きスペースは、常にその事を考えるために大事に大事に使ってました。仕事もなーんもしてない。呑んでてもその事が頭に出てきたし、忘れたのはバイク乗ってる時ぐらい。でももう終わった、取り敢えずは。

 

 この惨敗をどう考えるか。惨めだけど事実なんだからしゃーない。その事実をずっと惨めと思い続けるか、今後の糧にするかは自分次第だし、折角なら何か意味があったという事にしたい。

 

勝ち負けの「負け」をどう受け入れるかずっと悩んだけど、負けじゃなくて、0勝1敗だと思うようにしたい。負けで締めちゃうとそこで終わりな気がするし、0勝1敗なら、次の仕合に続きそうな気がする。本当に次の仕合はあるのかどうかはさておいて。

 

 

で、此処からが本番なんですけど、これが僅か一週間前の出来事という事で、私の内々の方々は暫く労わる様に。

 

何時もは何もいらない、受け取らない紳士過ぎる私ですけど、此処1,2週間は黙って受け取るから。奢りも断らないから、何なら三軒目の終わりにタクシーの運転手に万札渡して送って欲しい。

 

ボーナスの残りの有意義な使い方、頭のいい、身内の皆さんはわかってる筈。

梅田で待ってます。

選択について

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世の中で起こるすべての出来事、自然現象も人間が行う事も全て、その規模程度も全て単独では終わらず、必ず後の何かに影響を与える。

 

石ころが転がったら、土砂崩れになるかもしれない。石ころが転がって終わりかもしれないけど、空気はそれで動かされてる。正に「リオデジャネイロで蝶が羽ばたくと、数週間後にはテキサスで竜巻が起こる」(カオス理論、バタフライ効果)とかの話で、要はどんな些細な事でもそれが色んな事に変化を与えて、全く想像もしていなかった未来の出来事に繋がっていくというこの考え方が凄く好きだし、自分のどんな些細な選択でも、後の自分に大きく影響を与えてると思う。

 

例えば仕事中、ちょっと休息で車を停めて珈琲を飲んだとしたら、休まなかったら5分早く通り過ぎてた道で事故が起きて渋滞、予定していたアポイントに間に合わず商談失敗。その商談が上手く言ってたら他にも芋づる式に他の案件が口伝で出てきたかもしれないし、それが成っていたら競合会社にも評価を受けてヘッドハント、インセンティブでフェラーリ

 

 珈琲飲んだからフェラーリ逃した!は、雑な例えとしても、自分が都度都度選択した事は、全部未来の自分に繋がり降りかかってくる。単独では終わらない。

 

ホンの些細な何でも無いその時の選択が、後の出来事に大きな影響を与えるという事は結構聞く。たまたま偶然受けた些細なサービスでその企業のファンになり、そこに入社、出世して会社の方向性と世の中を変えたとか往々にして聞くし、その逆のような話も勿論聞く。自分も些細なタダの偶然で足繫く通う店が出来たり、好きになった商品なんて数えきれない。

 

 1つの選択がどのような結果であれ、ずっと先にその影響は続いていくし、派生でまた色々な選択が出てくる。確実な予想を求めるなんて無意味だと思うけど、それでも手持ちの情報で出来る限り望みの方向に進めるよう、自分なりに考察し、未来を考え、目標を定め、それに沿って努力してベストな選択をしていくしかない。但しそれはあくまでも自分が把握してる範囲でのベストであって、その裏にはその何倍もの把握できてない状況があり、本当のベストなんかじゃない事も理解しておかないといけない。本当のベストじゃない以上、未来は危ういと思った覚悟で物事に挑めば多少は余裕も出てくるし、結局何があっても対応もしやすい。予想外の事が起きても諦めもつく。そこまで考えて運を待つぐらいの方が、精神衛生上自分にはいい。

 

だから選択の時には、常に次にどういう流れが来ても動じないような気持でいたいし、予想は立てるけど予想外の事が起こっても当たり前な気持ちでいたい。そして納得できるようにも、出来るだけ自分には正直で、自分に優しい選択をするようにしたい。そういう選択をし続けていけば、これからも何となく乗り切れていけるのかなと思う。

同じでいて欲しい事について

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勉強させてもらったり、成長させてもらったり、何より楽しかったりするのは、違う意見とか見識に触れてそれを理解出来た時だと思う。ちょっと違ったり、自分からしたら変わった意見だったり、なんなら喧嘩にならない程度の言い合いをし合えるような人の方が接してても面白い。自分の努力や考えの延長で得られる知見以外の、想像もつかない刺激が欲しい。だから違う考えや趣味嗜好を持った多様性のある集まりでずっと揉まれていたい。

 

でも、自分に近しい人には、「これに関しては出来れば同じ考えや想いでいて欲しい」と思う事もあって、それはちょっとした本だったり、ある料理だったり、音楽だったり、凄いマイナーな漫画だったり。大したことじゃないんだけど、何故か自分には大切、琴線にふれる事がある。それを初めて体験した時には、「これに関しては同じじゃないと」ってすぐ気が付く、同じでいて欲しい事だなとわかる。無意識の内ながら、自分の歴史の中の積み重ねで好きになっていたり、譲れない確固たる意見になっていて、そうなってるんだろう。

 

頭が良ければ、何故それが同じでないとダメなのか多分説明出来るんだろうけど、自分はそれを上手く言語化出来ないし、したところで意味があるとも思えないからしない。「こうこう、こういう経験と考えで、これに関してはこう思うし、こういう志向ですけどあなたは同じでしょうか?違うなら最後までいれませんね。」なんて馬鹿な事聞けないし、聞こうとも思わない。

 

こういう話を身近な人にすると、それが価値観の違いとかいう奴じゃないの?とよく言われるけどどうなんだろう、なんかそれとはまたちょっと違う気がする。

価値観はなんかもっと人生で大事な選択とか、生き方の根本に関する事だと思うし、そんな大層な事じゃない。別に本当にどうでもいい事。でも価値観が違ってても、この自分にとって近しい人には同じでいて欲しい事が同じなら、その人とは物凄く合うと思う。

 

昔、うちの恩師が別れを切り出そうと思った、惰性の最後のデートの博物館で、何故かメインの絵じゃない、幾つもあるような絵に目が留まって、「これがいいな」と漠然と思ったら、相手も聞いてもないのに、何故かあの絵が一番印象に残って良かったと聞いて、やり直して、それが今の旦那さんと聞かされた。

 

なんとまあ出来過ぎた話って思ったけど、多分それはこの感覚と近いんじゃないかなとは思う。

 

言うてもその恩師、昨年から一人になっちゃいましたけど。

だから「同じじゃないと」はやっぱりよくわかんないです。

 

かしこ。

色々ある事と、逃げる事と、何とかなる事について

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大学時代からの友人は7人組の集団で、年に1回、多くてもあと1回の2回ぐらい、今でも顔を合わせてる。なんかちょっと気取った、回るテーブルのある中華屋さん辺りでご飯食べて、その後は梅田のBARでちょっと呑んで帰るという感じ。「また今度、近いうちに」って言って、その近いうちっていうのは、わざわざ言わなくても大体1年後だなって、共通の認識でいれるぐらいの仲ではあり続けてる。

 

ある日もう耐えきれなくなって、この道を左折したら会社の駐車場って角で右に曲がり、そのまま着の身着のままで北海道に逃亡した人。

マイホームを建てて、奥様と愛娘と幸せに暮らしていたら、ある日突然家の中の物が何も無くなっていて、離婚届に弁護士のコンボ、それ以来娘に会えてない人。

ある日急に会社が倒産、何十人もの従業員の人生が掛かった労使交渉を、当時33歳でやらされた人。

旧帝大卒、ぼんくら軍団の中では一番の期待頭、頭も抜群に良かったのに、2度の失踪で、2回目は九州を放浪していたところを、家出人捜索中の警察に見つかり引き戻された人。

20代で人妻に横恋慕して駆け落ち、気が付けば消防士という固い職業を捨ててた人。

28歳の時に仕事でメンタル潰され、この7人組の中では一番最初にそういう谷間、修羅場を迎えた人は俺。

考えたら、結婚して子供出来て家立てて、良きマイホームパパなんて、絵にかいたような幸せをやってる奴は、仲間内で1人しかいない。みんな色々あるなと。

 

仕事とか、家庭とか、パートナーとの間とか、色々あるのが普通。すまし顔の隣の奴も多分同じ位の重荷の何かを抱えてるのが普通なんだと、この年になって思う。

 

その 色々がどうにもキツい時は逃げて良い。

 

7人組で逃げずに最後まで背負って、一番迷惑かけたのは俺だったし、他の奴はみんなうまくぶん投げて逃げた。そしてそれが正解だった。潰れちゃって、後でケアされる羽目になるよりも逃げた方が絶対いい。基本皆真面目だから逃げないけど、背負えなくて個人の限界超えたら逃げてもいい。借金だって重すぎたら自己破産してもいいでしょ、それと同じで心も重荷がリミッターを越えたら投げて逃げるべき。心をやるほどアホな事は無い。迷惑かけるとか言うけど、潰れられて、それを立て直し、支える方がよっぽど迷惑の度合いも大きい。ぶっちゃけ本人が思ってるほど迷惑じゃない。自分がやっちゃった迷惑って大きく考えがちだけど、他人からしたら責任感無しで淡々と処理するだけって、そんなに負担じゃない。

 

大学時代こんな風な人生になるなんて誰も想像してなかったけど、人生山あり谷ありなのが普通なんだなと。そしてそれは別に法的に刑罰を食らうような事でも無いのであれば、比較的何とかなるよって事を、誰かまだまだ若い人に伝えたい。

 

みんな真面目過ぎる気がする。

 

仕事一つとっても、しんどいしんどいって声を上からも下からも横からも聞くけど、かなり本気で「じゃあやめたらいいですよ、そこまでしんどい思いしてやる必要ないですよ。」って言っても冗談としかとられない。いやいや、マジで言ってるんですって感じなんですけど。

 

色々な事は、みんな何とかなる、人生なんてそんなもんだと信じてる。上に上げた6人は皆今幸せな人生歩んでる。北海道に逃げた奴も、ちゃんと戻ってきてのびのび働いてるし、娘に会えない奴はモデルさんと再婚して、地獄の労使交渉した奴は今はタワマンに住んでるし、家出人捜索された奴は「主夫」で家事頑張ってるし、人妻と駆け落ちした奴は違う人と結婚してマッサージの店を出して、最後のちんぴらも好きな時にバイクに乗って、好き放題走り回ってる。

 

多分俺らも後1,2回はなんかあると思う。でも何とかなると確信もしてるので大丈夫。真剣に頑張って、やるだけやって、それでもダメならそん時はそん時、逃げましょう。別に殺される訳じゃないんだから大丈夫。人生何とかなるように出来てますので。

総選挙と本棚

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中途半端に本を読む人(「読書家」という言葉を使うのは本当に本を読む人に対して失礼なので使いません)でして、月に大体7,8冊読みます。私は自分の興味がある事や、コンプレックス、足らない所を埋めるために本を読みます。つまりどんな本を読んでいるか他人にバレるという事は、「そこに興味がありますよ~、そこが足らない馬鹿なんですよ~、コンプレックスなんです~、お馬さんパカパカ~」って形になってバレてしまうという事です。

 

すまし顔、したり顔でカッコつけても、持ってる本を見られたら一発でバレるという事。これは大変由々しき事態なわけで、私からしたら、電車の中でドヤ顔で見せびらかしながら本読む人ってちょっと凄いと思う。本気で本読んでる姿なんか、人には絶対に見られたく無い。

 

ましてや、その読んだ本が多数収められてる本棚を見られるという事は、万死に値するという事になります。この本とあの本を読むという事は、じゃああの方面も興味があったり、コンプレックスなんだなと、本の組み合わせ、繋がりでもう一つ役が乗って跳満レベルでバレてしまうという事。一冊ならごまかせるものも、集団になるとごまかせない。

 

本棚はその人を表わしている。

 

見られたら頭の中を覗かれるという事で、これは裸見せるより恥ずかしい事だと思ってしまう。マッパで外で歩くのとどっちが恥ずかしいって言われたら、多分本棚見られる方が僅差で勝つ、じゃあ本当にやれって言われたら本棚見せる方を選ぶとは思うけど。

 

こんな私の本棚ですが、キリがないので数年前に絞って一つ。別に高い奴じゃなく、ニトリの安っすい奴で、こいつには約300冊ぐらいしか入りません。で、年に2回ほど、この本棚を整理をするのです。

 

自分の人生の中の300冊の一員に加われるかそうで無いか。AKB48ばりに一人総選挙みたいなのを年2回程やります。書斎の床に本を丁寧に、でも「ばら撒く」。この「ばら撒く」というのが大事で、整理して置いちゃうと後で拾い上げる時にまた違った結果になってしまう。適度に散らしてぐっちゃぐちゃにして撒くのがいいんです、総選挙の前では、愛しき本達は全て平等。

で、一冊拾っては、「ああ、ここがいいよな」とか、「あー、こんな事書いてあったっけ?」とかやるんですけど、もうこれが自分の中で物凄く盛り上がる、こんなもん盛り上がらないわけがない、一人でにやにやしながらやるのです。しかも1日では終わんなくて、大体一週間ほど時間掛けて本棚に戻していく。傍から見たらどういう風に見えるのかわからないけど、他所の人に見せたらダメな光景なのはわかってる。

 

新しく300冊チームに入る本は殆どなくて、一回の整理で3冊入るか入らないか。けど面白いのは、300冊の中で順位はちょこちょこ変わるんです。もうちょい具体的に言うと、1位から15位ぐらいは不動のドリームチーム、黄金聖闘士な本。まあここはそうそう変わらない、此処に食い込んできたらよっぽど。で、下位30冊ぐらいもこれまたほぼ変わらない。半年に一回の総選挙、新しく入る3冊は大体ここに潜り込む。変わるのは300冊レギュラーの真ん中あたり、20位ぐらいから280位ぐらいの間なんです。200位ぐらいの本が、150位とかにジャンプアップしたり、30位のそれなりの出来る奴が、100位とかに暴落したりする。

 

小飼弾さん・岡田斗司夫さんの「未来改造のススメ」はやっぱ面白いから、20位ほどランク上がって60位だなってなったり、伊集院光さんの「のはなし」シリーズは新刊出ないのが腹立つから(連載終わってるので)30位降格で140位とか。その横で4歳の時、擦り切れほど読んだ名著「しょうぼうじどうしゃじぷた」(絵本)も毎回上がりそうで上がらなく、30位ぐらいがレギュラーになってたり。

 

一人総選挙が終わるとぐったりしてしまうけど、心地よい疲労感と言うか、書斎の中がまったりとした空気になります。並び方もバラバラのように見えて、何となく自分の中では順序が立ってるような気がしてます。1位から300位まで一つの曲みたいな感じに思える時もあるぐらい。この半年はこの流れなのかな~って思うんです。本棚崩す前、改めて一覧を眺めてみて、半年前に作った流れはこんなんやったんやなってのも思ったりする。本棚を見ながら、半年の答え合わせみたいなのをやるんです。

 

全部自分の考えの血肉になってる本だけど、その時によって重要度というか自分の中での位置づけが変わったりするのが面白いなと。それが現実に目の前にあって、見せてくれるのが本棚。この本達が、今の馬鹿なりにも、税金を納めれる立場の自分を作って来たという自信になります。自分の後ろにはこの本達を読んできたという自信があるんです、なんかあったらこいつらに再登場してもらって、自分を鍛え直してもらったらいいっていう安心感の砦が本棚なんだなって思います。

 

本棚って素晴らしいわ!