書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

相談について

 

 

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相談に乗るのは嫌じゃない。どうやってそういう事が起きて、それをどう乗り越えて、ハッピーな物語を描きたいというのを聴く事は興味深いし、その物語に間接的にであれ、加われるのは嬉しい。単純に困ってる人の力になりたいし、悩みを出す位、信用してくれてるという事は光栄に思う。いやらしい話、逆にこちらが苦しい時は親身になって力を貸してくれることも期待できるし。

 

ただ、相談を受けて、結果何か此方から投げるとしても、それをどこまで受けてもらっていいのか考える時がある。前提条件を投げられて、知ってる限りで、相談を持ち掛ける人の性格や、その他諸々を考えたら、「こうじゃない?」と投げるけど、それってあくまでも断面を切り取って投げてるだけな気がする。気がするというか、多分そう。

別の日に相談されても、投げるものはそんなに大きくは変わらないと信じてるけど、それでもわからない。ひょっとしたらお互いのその日の気分や言い方で、何か変わるかもしれない。それが相手も理解してくれていたらいいけど、そうじゃなさそうな人も結構いる。「こうじゃない?」の最後のクエスチョンマークを取られて飲み込まれるのが怖い。

 

その人じゃない限り、全てを知らない。本人が気が付いてて、意図的にその事を言わないならまだしも、無意識で気が付いていないことだってある。その知らない事が、案外その投げられた質問に関しては大きかったりするかもしれない。たまに竹を割ったように、スパッと「それはこうだからこう!」っていう人がいるけど凄いと思う、嫌味でなく凄いと思う。俺は中々そこまで言えない、口調はそうであっても本心はそうじゃない。俺だって、その人との関係性によって出してる自分は違ったりするし、誰にも言わない、言えない感情や思いだってあるので、他の人も大なり小なりそうだとも思ってる。というか、全部出してるなんていう奴は、逆に怪しい。

なんというか相談って、持ち駒が一部見えてない将棋のアドバイスをさせられてるような感じがする。その見えてない持ち駒がいくつあるのか、どんな駒なのかもわからない中で、あそこに駒進めてこうしたらって言う感じ。リスキーさが消えない。

 

芸能人がたまに雑誌やTVでこういう相談受けてぶった切るけど、アレは楽でいいなと、勝手に上から目線で見てしまう。ああいった感じで言いっぱなしで、ハイ、さようなら~とは此方はいかない訳で。そしてあちらは相談者もそんなもんだと割り切ってる節もあるし。

 

「じゃあ、あなたはどうしたいの?」と返し、極力自分の意見を出さずに凌ぐのが無難。でも、そもそもそれがわからないから相談されるわけで、その言葉は逃げな気もする。求めるのは「あなたはどうしたいか」の深堀りだけど、それをそのものズバリの言葉で投げかけるのは、味気ないし、無粋な感じもする、突き放してるような。

なので受けるものの礼儀として、その言葉を使わなくても同じように、「あなたはどうしたいか」を深堀出来るだけの力を持たないといけない。それは考え方であったり、語彙力であったり色々あるんだろうけど、先ずはそういう意識を持っておきたい。

 

意識無意識関わらず、その人のすべてがわからない以上、最適な答えとかアドバイスは相談では出てこない。結局相談の答えって、相談してきた人が自分で見つけるしかない。相談を受けた者がやれる「確実」な事はそれを即すだけ。

受けた相談の中で答え「的」なものを出す事に限らず、もやもやした物しか残らなかったとしても、結局最後にそこに行きつけば意味があると思うし、自分で相談を受けていても、最後はそれが希望というか救いになる。

 

相談を受ける以上、最後の最後、その人の考えを乗せる余地のある投げかけを出せるようにしたいなと思う。

人付き合い

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急に覚めるというか、距離を置くというか、いや、男女の話では無いんだけど、そういう時があって。

 

仲良いし、軽口も言い合うし、真剣な話もするし、その深度も深いんだけど、何気ない、本当に何気ない、悪意のない、たった一つの言葉使いとかチョイス、その時の態度なんだけど、それは無いわ~って時ありません?

しかも、他の文脈や流れでは全然軽く流せる、なんならそれに乗っかれるけど、今この瞬間、この場でその反応されると「もうダメ、この人とは無理」って時ありません?

 

客観的に見てダメな言葉とか態度でも無いんだけど、無いんだけど、自分の感覚では駄目だわって。

 

三者に説明しても理解されない、そんなの別にある事でしょって言われちゃう。でも自分は駄目みたいな。自分にはあり得ないみたいな。自分の知ってるその人は、そんな事言いもしないし、そんな態度もとらないわみたいな。

 

意外性を出されるのが嫌な訳でも無くて、それはむしろ好き。口で上手く言えないけど、それとは何か別の感覚。こっちも事前に予測なんてできない。その言葉を出された時、その態度が視界に入った時、その瞬間この感覚が出てくる。

 

俺はそういうのが極たまにあって、これがまた最近そういう事があったわけですよ。

今迄あんなに楽しかったのに、もういいわみたいな。

 

しつこく言うけど、その言葉とか態度は客観的には全然おかしくない。自分だけが引っかかってしまうだけ。だから相手さんにはなんの落ち度も無い。だから向こうも普段通り声かけてくれるけど、それが逆に気まずいというか。

 

これってちょっと不味いのかもしれない。勝手に信望して勝手に幻滅するパターンで、一番めんどくさく、人付き合いが下手な人の典型な気がする。

 

というか、人付き合い下手なの、最近忘れてただけだわ。

私的営業職考

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営業って実力の要素が4割位で、後の6割が運というか、流れや勢いも含め、そういう自分ではどうしようもない奴が占めてる。

 

このどうしようもない奴がデカい。

 

実力だけでもコンスタントに会社からの目標数値を淡々とこなす事は出来るけど、他と比べて頭抜ける時はその残りの6割が絶対必要。

そのどうしようもないやつが、自分の所にタイミング良く巡って来るかどうかなんて、神様の適当な気分に任せるしかない。

 

なので営業を知らない人から見たら、こんなヤクザな仕事は無いと思うし、そのどうしようもないのを呼び寄せるために、普段の仕事にムラがあったり、間接部門への多少の無茶な要求とかはちょっと大目に見て欲しい。あとほんの少しのサボりも勿論大目に見て欲しい、車で寝てるおっさんを見て見ぬ振りあげて欲しい、あれも仕事。

 

そのかわり営業は、そのどうしようもないのが回ってきたときに、ちゃんと「回ってきた!」と感じるセンスが無いとダメだし、ここが勝負の時と、死ぬ程努力してそれをちゃんと掴む気概が必要。

 

一言で言うと勝負師的なとこが多少でも無いとダメなんだと思う。

そして勝負師なんだから、やる時にはやって勝たないといけない、目を三角にして、どんな手段でも使ってでも勝たないと。

 

そこまでやる価値があるかどうか、こればっかりは人によって違うんだろうけど、こういう所も踏まえて楽しめる人じゃないと、しんどいとは思う。

 

やっててこんなにヒリヒリする職種も無いと思うし、生きてる感が凄い。

営業って人一倍疲れるけど、それに見合うだけの体験は出来ると信じてる。

本屋

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東京に行くと必ず寄る本屋があって、本当に一度も欠かさず必ず寄ってる。

ここ数年欠かしたことがない、東京に行けば必ず行く。

 

店は対して大きくないし、なんならもう都心部ではほぼ絶滅した一般的な書店のサイズで、逆にその大きさが今では新鮮な位の店。

それでも人通りはかなり多い所にあるので、お客さんも多いんだとは思う。

何時行っても人が多いのは嬉しい。

 

その店が好きな訳は、センスが良い事。

 

話題の本を置く平台(本の表紙を上に見える様、積み上げてる棚)のセンスが良い。

話題の本なんてそれなりにあるのに、そのチョイスが良い。

この本屋の平台にある本は全部読みたくなる。

 

面陳(書棚に表紙が見えるよう刺してある棚)のセンスが良い。

そんなにスペースの無い本屋の面陳なんて、本当は沢山の種類並べたいはず、でもお勧めを3列4列で並べる。

その心意気がいい。

 

この本屋からは、本が好きって事が伝わってくる。

こういう本読んでみたらどうですか?って提案が伝わってくる。

この店のレコメンドなら読んでみようと思える。

 

東京に行く時って、少々の荷物を持って行く。

出来たら重たい本とか持って帰りたくない。

 

でもこの本屋は必ず行くし、必ず行くから、必ず最低1冊は買って帰る。

毎回カバンが重くなるけど、その重さ分ワクワクできるので、感謝してる。

 

何時も自分への最高の東京土産を、この本屋が与えてくれる。

 

本当にありがとう。

ルール

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この間乗った新幹線、満員の中、通路挟んで隣の席で、パソコン叩きながら大声で取引先と話してるおねえさんがいたんです。

 

うるさいとかは一先ず置いといて、「電車の中では通話はやめましょう」と言う、誰もが知ってるルールを守る意志がないという事を、大変わかりやすく、無遠慮に、存分に見せつけてくれました。

 

まあ、この手の人って、新幹線乗ってたらたま~にいますので、そんなに驚きもしなかったけど。

 

ルールを守らないという事は周りに配慮しないという事。

周りに配慮しないという事は、周りを認めて無いという事。

周りを認めていないという事は、その場で何しても良いと無意識に思っているという事。

 

無意識だから逆に質が悪い。

その行為が此方に対して迷惑を掛けるか掛けないかなんて考える発想すらない。

悪意無く、此方が何らかの被害を受ける可能性がある相手が近くにいる。

 

不愉快極まりないわけですよ。

 

別に、深夜誰もいない、車も1台も走ってない交差点で赤信号を待てとは言わないし、誰も乗っていないエスカレーターでも歩かず立って乗れ!と物申せるほどえらい人間じゃない。

 

でも回りがいる中で、ルールを堂々と破るという事はちょっと訳が違うだろと。

 

緊急事態やどうしようも無い時は別だけど、だったらだったで、ポーズでもいいから小声にするとか、申し訳なさそうにするとかして欲しい。

 

皆が見ている前でルールを守るという事は、他者を尊重してる事のアピール。

私はあなたたちと協調していますよ、何かあれば助け合いますよと言う意思表示をしているという事、その証明をしているという事。

 

みんながみんなで、優しい世界にする為にも、そういう事にちょっとは気を使いなさいよと言う事。

 

という訳で、そのおねえさんには「てめえの話声が不愉快なのでは無くて、周りの人間を認めていない事が不愉快なんだよ、このあほんだら。」って事を言いたかったです。

 

言えないチキンだけど。

命と時間

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がんに代表される不治の病が進行してて、それをカミングアウトした時のなんとなく流れる「ああもう長くないんだろうけど、頑張ってね」的な空気があんまり好きではない。悪意の無い、下手したら無意識な、上から目線的な感じが好きではない。自分達と不治の病にかかった人達をぐるっと線で丸を引いて、囲って分けたような感じが好きではない。

 

不治の病に掛かっていようがいまいが、誰だって1時間後に交通事故にあうかもしれないし、5分後に心筋梗塞で倒れるかもしれない。病をカミングアウトした人より、憐れんでるその人の方が先に天に召されるかもしれない。そして病に掛かってる人だって、仮に余命1年と宣告されても、1年間は「絶対死なない」と約束されてるわけでも無い。

 

結局命の時間なんて死ぬ直前まで誰にもわからない。だから病に掛かっていようがいまいが、同じ命の時間の世界で生きているはず。

 

但し違うとすれば、想像でしかないけど、不治の病とされるものに掛かったら、毎日の充実を追い求める密度が俺らとは段違いで変わるんじゃないだろうかという事。それって1時間1分1秒の重みが変わるという事。

 

俺らは何処かで絶対安全と思ってるけど、そうではなく同じ命の時間に生きているのなら、そういった病に侵された人が見ている世界を同じ目線で見ることが出来ると思いたい。その時間の重みと密度を、100分の1でもいいから横で見させてもらって、そこから何か得ること。何かを学ぶならそこだろうと思う。

 

今この瞬間生きてる人にとって、生き死には全員に平等。

一利一害

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20以上の色々な資質の中で、どれが自分の強みなのか順位付けするテストがあり、それによると私の一番優れてる資質は「忍耐力」との事。昨年同じテストをやっても同じ1位だったので揺るぎようがない、全然ぶれない、ド確定。そんな強い資質であるので、自分でもその傾向があるのは認識してるし、1位も納得も出来る。

 

忍び、耐える、力と書いて、忍耐力。

 

忍耐力あるなんていいじゃないって、人は言うかもしれないけど、なまじ合ってない事や辛い事でも、大抵投げずに最後までやり切る羽目になってしまう。根性というまた変な資質がそれを支え、デスマーチでもやり続けてしまう。掛けた努力の割に報われるリターンが少ない、費用対効果が悪いのにもやり切ってしまう。仕事のキャリアで、2回もメンタルやるまで続けたのは多分この資質が強いから。

 

止め時、諦め時がわからない。

 

粘り強いというのは耳障りのいい言葉で、往生際が悪いともいえるんじゃなかろうか。自分としては合わない、出来ない、楽しくないと思ったら、パパっと次に移りたい。切り替えが早いという耳障りのいい言葉で、飽きっぽいと言われてもいいから、忍耐力の無い状態に憧れる。

 

今の世の中、一つの事に執着するより次から次に新しい事を試すサイクルを早く回せと言われてるし、自分でもそう思う。でもそうすることが出来なくて、つまんない本ですら、投げだせず最後まで読んでしまうぐらい耐えてしまう。そんな自覚をしてる時に「忍耐力」が1位と言われると凄く複雑に感じてしまう。

 

好奇心が足らない事と、変化を嫌う怠け者の気があるのかもしれないな~。

 

自分でそう感じていても、こればかりは生まれ持って、長年育ててきた資質なんですぐ変えるのは難しい。ただ意識し続けていたらそのうち少しづつ変わるはずで、それを信じたい。

 

後ろ向きな事ばかり書いてきたけど、忍耐力があって良かった事は悪かった事以上にあるし、その恩恵も沢山受けてきた。でも同時に、この資質にしんどい思いも沢山してきてるのも事実。

 

ただただ、もうちょっと器用に生きたいだけ。