書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

利己だけど利他

正直な事を言うと、誰かに何かをする時には見返りを意識している。目の前で死にそうな人がいて救急車を呼んだり、轢かれそうになっている子供を飛び出して止めるとか、そんな緊急の非常事態でもない限り、見返りが頭をよぎる。全く何も考えずに、誰かに何かをなんて出来ない。聖人じゃないし。

 

見返りと言っても、そうする事でその人は喜ぶだろうなとか、もっと仲良くなれたらいいなとか、もっとこっちを好いてくれたら嬉しいとか、精々そんな程度ではあるけれど。ビジネス上だと、「これは貸し、後で返せよな」な、シビアな意味合いの見返りの時もあったりもする。ただどうあれ、やっぱり意識をしている。我ながら、物凄く利己的な人間なんだと思う。

利他的に人に接した方がいいし。それは本心でもそう思える。程度は兎も角、利己利他で言えば、後者が高めな人生歩むようになってから、人生より順調になってきたし、それが身に染みているからこそ、違和感なく利他の行動を取れるようにもなっている。

ただその利他の行為の裏に、見返りを期待する気持ちがゼロかと言われればそうではない。それを利己的と言うなら、やっぱり利己的人間で間違いない。昔からそんな自分を自覚もしていて、見返りを意識していることを、恥ずかしいと思ってもいた。

 

でもそうじゃなかったら。見返りを意識しないで、利他の行動が出来ていたか。これからもできるか。

多分できないと思う。

 

見返りを意識する。ただ意識する見返りは、なんだかんだと言って、笑って「ありがとう」と、一言言ってくれるだけで十分だったりするし、時にそれが、此方の期待する見返りの100%を超える時もある。

見返りの時期も気にしないし、死ぬまで帰ってこないかもしれないのも受け入れる。でも利他の行動の裏に、見返りがふと浮かぶのは許してあげたい。利他の行動がそれで出来ているんだし。

 

見返りを意識しない生き方をして、誰かに何かをする利他の行動が減るぐらいなら、大いに持った方がいい。ひょっとしたら顔に出ているかもしれないけど、相手はエスパーじゃない以上、頭の中を読まれはしないので、そう勘繰られても否定すればいい。見え見えでも否定しきってやればいい。それよりも、誰かのために何かをする行動が減ってしまう方がなんか悲しいし、相手にも自分にとっても損だと思う。

 

利他の心に見返りを意識する。

そんな感じで、そんな程度だけど、見返りを意識する。

期待はしないけど。