書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

水物かもしれない

何かのきっかけで、俺の持つ何処かの「面」で相通ずるものを感じてもらい、そこで友人として繋がり、そこから繋がり続ける。

個々の友人によって、気に入ってくる俺の面は違うように思う。大きな括りで言えば同じような面であっても、その人毎に見せた俺や、見えた俺は違うはず。馬鹿なところが気に入ってくれたとしても、ある場面で言った独特な言葉のセンスを気に入ったとか、ある状況の時に取った行動がえらくウケたとか。そういう、繋がる理由となる面は、友人毎に違うんじゃないかと。全く同じ面で、複数の人と繋がれるということは、ほぼないんじゃないんだろうかと。無数の俺が、友人毎にいるように感じる。

でも、そうだとしたら、ある人が気に入ってくれた面が、それとは違う面で俺を気に入ってくれた人には合わないとか、不快に思うようなケースもあるのかもしれない。

 

生きるにあたり、特別嘘を付いたり、必要以上にワザと自分を演出しているつもりも無いけれど、どの面の何を気に入って仲良くしてくれているのか、たまに不安に思う時がある。この人にあの面はバレているのかなと気になる時もあるし、この面を違うあの人が知ったら、今と同じような付き合いをしてくれるのかと思う時もある。ある時突然、違う面を見られ、それが理由で関係を切られることがあるかもしれない。それも自分が気付かないうちに、そうされてしまうかもしれない。そういう経験が、今までなかったとも思わない。自分がそうやって切ったこともある。なのでお互い様であるのかも。

 

友人として繋がれるのは、運のようなものなのかもしれない。合う面を見せれたら繋がれて、そうじゃなければ繋がれない。合わない面を見られたら、思いの外脆く、繋がりは途切れてしまう。友人になれること、繋がり続けられることは、水物なのかもしれない。

見せていない面が、その人との繋がりを壊すことが無いことを祈る。