書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

命と時間

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がんに代表される不治の病が進行してて、それをカミングアウトした時のなんとなく流れる「ああもう長くないんだろうけど、頑張ってね」的な空気があんまり好きではない。悪意の無い、下手したら無意識な、上から目線的な感じが好きではない。自分達と不治の病にかかった人達をぐるっと線で丸を引いて、囲って分けたような感じが好きではない。

 

不治の病に掛かっていようがいまいが、誰だって1時間後に交通事故にあうかもしれないし、5分後に心筋梗塞で倒れるかもしれない。病をカミングアウトした人より、憐れんでるその人の方が先に天に召されるかもしれない。そして病に掛かってる人だって、仮に余命1年と宣告されても、1年間は「絶対死なない」と約束されてるわけでも無い。

 

結局命の時間なんて死ぬ直前まで誰にもわからない。だから病に掛かっていようがいまいが、同じ命の時間の世界で生きているはず。

 

但し違うとすれば、想像でしかないけど、不治の病とされるものに掛かったら、毎日の充実を追い求める密度が俺らとは段違いで変わるんじゃないだろうかという事。それって1時間1分1秒の重みが変わるという事。

 

俺らは何処かで絶対安全と思ってるけど、そうではなく同じ命の時間に生きているのなら、そういった病に侵された人が見ている世界を同じ目線で見ることが出来ると思いたい。その時間の重みと密度を、100分の1でもいいから横で見させてもらって、そこから何か得ること。何かを学ぶならそこだろうと思う。

 

今この瞬間生きてる人にとって、生き死には全員に平等。