書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

同じでいて欲しい事について

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勉強させてもらったり、成長させてもらったり、何より楽しかったりするのは、違う意見とか見識に触れてそれを理解出来た時だと思う。ちょっと違ったり、自分からしたら変わった意見だったり、なんなら喧嘩にならない程度の言い合いをし合えるような人の方が接してても面白い。自分の努力や考えの延長で得られる知見以外の、想像もつかない刺激が欲しい。だから違う考えや趣味嗜好を持った多様性のある集まりでずっと揉まれていたい。

 

でも、自分に近しい人には、「これに関しては出来れば同じ考えや想いでいて欲しい」と思う事もあって、それはちょっとした本だったり、ある料理だったり、音楽だったり、凄いマイナーな漫画だったり。大したことじゃないんだけど、何故か自分には大切、琴線にふれる事がある。それを初めて体験した時には、「これに関しては同じじゃないと」ってすぐ気が付く、同じでいて欲しい事だなとわかる。無意識の内ながら、自分の歴史の中の積み重ねで好きになっていたり、譲れない確固たる意見になっていて、そうなってるんだろう。

 

頭が良ければ、何故それが同じでないとダメなのか多分説明出来るんだろうけど、自分はそれを上手く言語化出来ないし、したところで意味があるとも思えないからしない。「こうこう、こういう経験と考えで、これに関してはこう思うし、こういう志向ですけどあなたは同じでしょうか?違うなら最後までいれませんね。」なんて馬鹿な事聞けないし、聞こうとも思わない。

 

こういう話を身近な人にすると、それが価値観の違いとかいう奴じゃないの?とよく言われるけどどうなんだろう、なんかそれとはまたちょっと違う気がする。

価値観はなんかもっと人生で大事な選択とか、生き方の根本に関する事だと思うし、そんな大層な事じゃない。別に本当にどうでもいい事。でも価値観が違ってても、この自分にとって近しい人には同じでいて欲しい事が同じなら、その人とは物凄く合うと思う。

 

昔、うちの恩師が別れを切り出そうと思った、惰性の最後のデートの博物館で、何故かメインの絵じゃない、幾つもあるような絵に目が留まって、「これがいいな」と漠然と思ったら、相手も聞いてもないのに、何故かあの絵が一番印象に残って良かったと聞いて、やり直して、それが今の旦那さんと聞かされた。

 

なんとまあ出来過ぎた話って思ったけど、多分それはこの感覚と近いんじゃないかなとは思う。

 

言うてもその恩師、昨年から一人になっちゃいましたけど。

だから「同じじゃないと」はやっぱりよくわかんないです。

 

かしこ。