書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

跡継ぎ

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子供の頃から社長と言うのは憧れの対象であり、割と身近にいました。言うてもウチの母方の祖父なんですが、印刷会社を経営していました。従業員も20人位いて、3階建ての小さいながらも自社ビルの立派な会社でした。屋上にはペントハウスっていうんでしょうか、小屋と言うにはちょい広めな部屋がありまして、社長室とはまた別の祖父の個人的な部屋になっていました。汗にまみれて働いて、賞与の前の日は祖父が各々の従業員さん向けに一つ一つ封筒に現金を詰めてたのを思い出します。当時は景気が良かったので、札束がエラいことになっていました。あの時触った100万円の札束の感触は強烈で、あの日見た札束の群れを凌ぐ現金を目の前で見たのって、自分が不動産を買う時の頭金を出した時だから、それから20年も経ってから。兎に角会社と社長と言うのは祖父のイメージが強く、そのあとを継ぐ叔父とその息子(私の従兄弟)が羨ましくて仕方なかったです。

 

祖父、祖母には三姉妹がいまして、その長女がウチの母親なのですが、当然祖父は母が婿を取って後を継いでくれるように考えていたようです。事実、当時の女性には珍しかった大学の商学部にうちの母を入れたぐらいで、その辺の期待は大きかったんでしょう。ただ母は後を継がなかった。お見合い結婚なうちの両親ですから、その辺は結婚前に色々決まってそうですし、ダメならダメで破談なのが筋かと思うんですが、何故かそうなった。この辺りは息子でもデリケートな話なので中々聞けないのですが、何かあったのは間違いなく、兎に角そうなった。まあ破談なら私この場に居ないのでよかったんですけど。で、次女も拒否で、いよいよ最後の三女という事で、三女が婿を取って継ぎました。しかも長女次女はお見合いだったのに、三女は大恋愛というのがまた面白い。栃木の林業の家の長男ながら、東京の大学で青春を送り、何故か淡路島に婿としてきた叔父。栃木には海が無いのにいきなり島。因みに今の私があるのがこの叔父のおかげと言うか、30%ぐらいはこの人の影響で私が出来てます。

 

前置き無茶苦茶長くなったんですが、兎に角この叔父が継ぎ、その息子の従兄弟が印刷会社を継ぐことが確定なわけで、事実今は従兄弟が継いでます。昔は羨ましくて仕方なかった。叔父、従兄弟とは仲良かったので、その羨ましいという気持ちが変な方向に行く事は無かったのですが、やっぱり羨ましい、だって社長ですよ。今ほど起業のハードルが低くない時代に社長です、今でいう勝ち組だなって思ってた。そんな感じで小学校、中学校、高校ときて、大学時代は就職氷河期時代ですから、羨ましい気持ちがMAXだったような気がします。

 

で、私も無事ちんぴらバカボンながら新卒で会社に潜り込み、上手くいって挫折して、転職してまた仕事の面白さを知ってなんて忙しくしている間に、そういう社長とかに対する意識、関心が薄れてきつつも、叔父従兄弟との楽しい交流は続いていました。

 

10年ぐらい前からですかね、従兄弟が後を継ぐか継がないかあたりの時に、その「社長」と言う意識がまた出てきて、そのフィルターで彼を見るとあんまり楽しそうに見えなかったんです。町内会の集まり、消防団、PTA役員活動は勿論、子供の卒業後も公立学校に対するボランティア、地元自営業者の集まり、その中でも印刷業者での集まり等々。地元で芸能人がディナーショーをやる時は横の繋がりでチケットを引き受けたりとかも。これは普通の民間企業でもあるかもしれないけど、顧客との付き合いも大切です。なんせ先代から続いてる付き合いですから、断るハードルが私のハードルとは次元が違います、毎週1回は使う運転代行代も馬鹿にならないとか。全部実質的な拒否権が無いんです。先代と同じような付き合いを求められてそれが当たり前。中々しんどいよなと思う訳です。そういうの子供の頃や若い時は見えなかった。

 

いい歳になって何となく家の仕事を継ぐ息苦しさ的なものが見えてきたというか。たまに従兄弟とは吞むんですけど、一回だけふと「本当は長女の息子の私が今頃継いでる筈だったんじゃないの?なんでこうなってるの?」って酔った勢いで言われてしまって、上手く答えれませんでした。

 

キツい言い方をすると家の仕事と地元に縛られる、自由が無い。レールに縛られるって言い方は好きじゃないんですけど、割と自由にやってきた私からしたらそうなのかなと思います。私が車で、荒地なんかも比較的走って開拓できるSUVなら、彼は電車みたいなもので行き先が決まってる。まだ目的地の駅やレールがしっかりしてたらいいんだけど、業界も先細りで厳しい、ゴールの駅は無くなってるのかもしれない。気が付いたらペントハウスは物置になってたし、自社ビルもメンテが出来ずにくたびれてるし、20人ぐらいいた従業員はもういません、従兄弟夫妻に叔父と叔母の4人で回してます。彼にも子供がいるんですが、もう継がせない、彼の代で終わりにするのは決めているようです。

 

こっちは子供のころから彼の立場を羨ましく思ってたけど、ある時期を境にそれが反対になって、彼が俺を羨ましく見ていました。チャレンジしたかったけどそれが出来なかったし、そんな意志を表示する機会も空気すらなかった。私は当たり前のように自由にチャレンジして、良い目にも痛い目にも合ってきたけど、彼にはそれが羨ましくて仕方なかった。

 

 従兄弟の回りも代変わりしつつあり 、昔の変な習慣や、しがらみは無くしていこうという流れになっていってるとの事で、少しずつまた変わっていくんでしょう。少しでも楽になればと願ってます。

 

勘違いして欲しくないんだけど、別に先代の跡を継ぐという事を辞めようとか駄目とか言ってるんじゃないんです。選択の自由を上げようという事で、それは表向きの事じゃなくて真の意味で選択させてあげたいという事なんです。

 

色々あるし、継ぐ意思のある人は背負ったらいいと思う。継いだからこその積み重ねで更に大きなものが見えたり、得たりもすると思う。でも望まないのに、違う道が眩しく見えてるのにそれにチャレンジすら出来ず、泣く泣く諦めたりするような世の中の空気は無くしたいなと思います。

 

全ての跡継ぎの皆様、お疲れ様です。