書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

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人の人生って、河のようなもので、人はその中を流れる1匹の魚。

河の大きな流れに乗り、下流に向かって進み、最後はみんな同じ場所にたどり着く。

 

河は人それぞれ。激しくうねって、激流の人もいるだろうし、穏やかで一本調子の人もいる。淀川もあれば、江戸川もあるし、ドナウ川もあればミシシッピ川もある、凄いのだとアマゾン川みたいな人もいる。

共通なのは長さがあり、川幅もあり、曲がりもあり、起伏もあるという事で、ただそれが人によって全然違うという事。そして各人の河は各々の河で、変えることが出来ない。淀川の人がアマゾン川の方がいいと変えれないし、逆もしかり。

 

河は変えられない。平等になるのは海にたどり着いて死ぬとき。その時初めて平等になる。人間、全てが平等というのは、大人ならみんな知ってる。どんな両親の元、何処の国に生まれて、どれほどの富と愛情を与えられ、育てられたかという事が、かなり大きな要素を占める。

勿論個人の才能と努力も大切。でも先ずはそれを開花させるチャンスと、適切にそれが生かせる環境があるのか無いかで話が違う。河とはそういう事で、自分が淀川なのか、アマゾン川なのかはわからないけど、河は絶対的なものとして、その中で人は泳いでいる。

 

人生とは河。出来るのは、その与えられた河の中でどう動くかという事。人より流れが激しいからと言って嘆いても仕方が無いし、あっちの河の方が水が澄んでるといっても変えることなど出来ない。出来ることは自分の河の中、その長さと、幅と、曲がりと、起伏の中で最善を尽くして泳ぐこと。

誰かを見て、その人と同じことを盲目的にやっても同じことは成せない。泳いでる河が違う。自分は簡単にできる事を、出来ない人がいたとして、それを揶揄したりするのはフェアではない、泳いでる河が違う。

 

誰かに憧れる、参考にする、目標にするはいい。でもそれも程々にしようと思う。誰かと比べて経済的に恵まれてない、美醜のコンプレックス、身体的なハンデキャプを呪うのもやめたい。他者と比べた結果に一喜一憂するのは辞めようと思う。

自分の河は自分だけの河だし、その中で泳いでるのは自分。自分の河を、自分で最良と思う、最善と思う泳ぎをしようと思う。その結果が自分で思うベストならそれでいい、それが間違いなくベスト。他所の河で違う結果が出ようが関係ない。長さも川幅も曲がりも起伏も違う、泳いでる魚も違うのだから、比較なんて無意味。自分の河で自分が泳いで最良なら、もうそれが最良。だから他所を見て、安易に影響を受けるのは辞めようと思う。

 

誰かと比べて嘆くことや、誰かを必要以上に憐れむのをやめようと思う。他人の河のを見て羨ましがったり、何もその河をわからないのにバカにしたりするのはやめようと思う。

 

大きな河でも全然泳がない人より、例え小川でも、伸び伸びと泳いで飛び跳ねてるような人を尊敬し、手本にしていきたい。