書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

本とのお別れ

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本の断捨離をした。

 

年に1,2回、本の整理をして、その整理は処分することも含めた整理だったけど、今回は断捨離と言い切れるほど、バッサリ処分した。先週で300冊位、今回で100冊位処分した。残った本は大体250冊位、丁度本棚1つ分になった。

 

今迄本が溢れたら本棚を買い足してきたし、それも無理なら本棚に収めるだけ収めて、はみ出す分を処分してたけど、もうそれもなんか違うなと思って、本当に残したい本、本当に後で読み返す本以外はきれいさっぱり処分した。もう直感に近い感じで、ばっさばっさと本棚からリストラ。3,000円ぐらいした本もあれば、600円ぐらいの新書も、分け隔てなくリストラ。リストラされた本は凡そ1,2週間書斎の片隅で放置。その後改めて眺めて、脳内ビブリオバトルで敗者復活のチャンスを与えるも、サルベージされたのは3冊位。だから、最初の感覚は案外あってたんだろう。

 

本棚自体もこれを機に断捨離で、1つだけになった。寂しく感じるかなと思ったけど、残った1つの本棚を眺めると、自分に取っての精鋭中の精鋭が背表紙をこちらに向けて、「何時でも頼ってこい」って感じで鎮座ましましており、寂しさどころか安心と勇気がもらえる。

 

不思議とこの250冊位がちょうど把握できるというか、安心できるというか。何時でも手に取れるような数だし、再読できそうな数だし、あの本の中には大体こういう事が書かれてる、その結果こんな影響を受けたと、意識できる。

 

今までも、とびきりお気に入りの本は本棚にあったけど、その他の普通のお気に入りの本だらけで、それがノイズとなって埋もれていた。お気に入りの本を処分して、とびきりお気に入りの本が生きてきた感じ。250冊の中には、古本屋で買った300円の新書もあれば、3,000円のハードカバーも、俺にとっては平等で、隣り合って並んでる。

 

残す本はまだそこから学びが得られる。つまりは読み切れていないという事で、手元に置いておきたいだけ。今はとびきりお気に入りでも、何時か処分する時が来るかもしれない。

 

本を処分するという行為を乗り越えないと、その本にある、知識、知見、学び、感動を得られないんじゃないか。

本とは何時でも別れる気でいないと、本に対して本気になれないんじゃないかと思える。

 

だから処分した本、別れた本にこそ、残した本以上に感謝したい。

そしてこれからも、沢山の本と別れていこうと思う。