書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

2割

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先週の初め辺りに体調を崩してから中々完調にならない。熱や痛みがある訳でもなく、普通に動けているので、傍から見ても何時もと変わらない。でも体に引きずられて、心の余裕が無くなってる。起きる出来事に対しても、受け身で出来るだけコンパクトに無難にまとめようとしてるし、何かアイデアや意見を投げられても、それに新たに自分の考えを乗せようと思わない。仕事の話でも、振られてきたものはそのままこなすというか、そこからより大きく貪欲にいこうと思わない。投げられるものに関してですらそうなのだから、此方から何か投げようなんて勿論思わない。

 

今は刺激とか変化を避けたい。変化や刺激に関して孤独でいたい。何もせず時間を過ごすなんて、普段なら一番忌み嫌う時間の過ごし方だけど、今はそういう時間を堪能したい。無人島でぼーっとしていたい感じ。でも実際にその時間と金があっても、それを実行に移す気力がないぐらい、今は無気力。電池が切れたみたいな感じ。反応してアクションを起こす敷居が、自分の中で恐ろしく上がってる。

 

感覚的に何時もの自分から「2割」引きになってるように思える。2割というのが微妙で、ギリギリ迷惑かけずに社会で動けてる感じなんだけど、一切余裕がない。余裕が無いから自然に守りに入ってるし、心も体も温存しているような状態。気持ちに上下も無くて、ある意味静かに平穏に過ごせてるけど、何時もの自分が俯瞰して見たら、無駄のない無表情なロボットみたいに思える。2割の余裕で随分人生楽しく過ごしてきたんだなというのがわかる。

 

この状態のまま抜け出せなくなるのが怖い。今みたいな感じが逆に当たり前になってしまうのが怖い。今が10割で昔が「2割増し」だったとなるのが怖い。俯瞰してこうやって書けてるうちは大丈夫だろうと思いたいけど。

 

人間、余裕があり、満たされてるから、「更に」いう欲が出て気力も充実する。「更に」が活躍を大きく広げるし、より楽しみを深堀して満喫できる。余裕の部分で無駄や冒険が出来る、予定していない未知のリスクを背負えるから、予定外の出来事に巡り合えて、それが望外の刺激になり、幸せに繋がっていく。余裕がないと幸せな生活が送れないってそういう事。余裕は大切。

 

心と体の2つが共に完調、これが合わさって初めて余裕が生まれる。心と体、片方が片方に影響を与えるって何となくピンとこなかったけど、今回それもよく分かったし、どっちかが落ちて深みにはまると、お互い引っ張り合って、悪いサイクルに入ってしまう怖さを経験した。 心と体、どちらも大切だけど、前者は兎も角、後者をあまりにも今まで考えなさ過ぎた。体調を崩して初めて俺は自分が思ってる以上に心身ともに脆いという事を思い知らされた。

 

今回の事で、余裕がある状態を真剣に考えるようになったし、常にこの状態を維持しないといけない事を思い知らされた。一回余裕を無くすと、元に戻すのも大変で、長引く前に、自分なりの何か対策を作っておくことも必要だと思う。こういう事って、本や人聞きに、当たり前の当たり前すぎるぐらい聞くことだけど、自分の身に降りかからないとわからなかった。その点では大きな事になる前に気が付けてよかったのかもしれない。

 

過信せず、脆い自分と向き合って、常に「2割の余裕」を持って生きていきたいと思う。