書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

昔を肯定する事

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この時期来るハガキって、DMでなければ、ほぼ「喪中につき年賀状送ってくるなよ」の案内なんだけど、今年もそれが来た。他にも来るのかどうかわからないけど、とりあえず今年の1枚目が来て、あーもう年賀状のシーズンなんだなって、年末の始まりなんだなって感慨、この時期毎年繰り返してる。もう何年も年賀状なんて出してないのに。

 

で、誰からかなと思ったら、最初の会社で俺の上司だった方からで、お父さんが無くなられたとの事。当時30歳位で、若くとても営業成績優秀な体育会系な方だった。今でいうブラックな職場だったし、その方には随分シゴかれたけど、営業のイロハを教えて頂け、目も掛けて頂いていた。アワードも取らせてもらえたし、その時心の底から喜んでもらえたのは忘れていない。最後、鬱で俺が辞める時には、お互いまだその年齢故に上手く接する事ができなかったけど、それでも凄く世話になったなって印象しかない。もう15年近く会ってない。それでもこの手のハガキは届く。

 

あの時、結果的に鬱になって仕事を辞めて、転職を繰り返して、良くも悪くもいろんな経験をして今があるけど、その会社に残ってたらどうだったのかなと、たまに考えてしまう。今迄はその問いに対してネガティブな答えしか出てこなかったし、ブラックで疲弊した事ばかり、鬱に陥ったことをその会社と環境のせいばかりにしてきた。その経験に憎しみがあったし、忌み嫌ってそこで経験したことは無かったことにしたがってた。得たものも多かったのに、それだけ切り離して記憶してて、嫌な事全て会社や環境のせいばかりにしていた。 そしてそんな屈折した気持ちと、そこから来る劣等感を成長するためのモチベーションにしてきたけど、もうそれだとしんどくなってきた。それで成長するにはもう限界が来ているのも自覚もしている。

 

だからって訳でも無いんだけど、ここに来てようやく、あの時の自分も、会社も、周りのその他諸々も、自分の中で認めてあげたいと思うようになってきた。その延長で、「転職して正解だった、残ってたら地獄」みたいな言い方で、間接的に昔の自分と昔の会社を乏して、今だけを肯定していた事をもうやめたいと思う。残っていたとしても、今と違う価値観で楽しく成長出来ていたと思うし、そう信じたい。昔の自分も肯定してあげたい。

 

丁度先日、仕事でその最初の会社に勤めていた時の担当地域を通ったけど、やっぱり社会人初の会社と仕事、その担当地域は特別で、良くも悪くも仕事に対する土台はこの時築かれてる事を改めて意識させられた。今の仕事上での判断もこの時の基準が自然と頭に出てくる。やっぱそこは、仮に天変地異が起こってAmazonAppleに転職したとしても死ぬまで変わらないんだなって、強く噛み締めながらその時は通った。そしてその経験を自然と感謝できるようにようやくなれた。だから今に繋がってる昔の自分を、やっぱり肯定してあげたい。

 

昔書いた事に、「避けててた京都が好きになるような生き方が出来れば、人生成功してるってことでしょう」って書いたけど、最近京都が好きになってきた。

 

もっともっと好きになれる様、頑張ろうっと。