書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

考える事と書く事について

f:id:UESUN27:20170912224437j:plain

先日、文章を書いてアフェリに誘導して、そこで収入を得てる人の話を聞いた。よく聞く話だし、それがメインの話じゃなかったんだけど、何故かそこが強く残ってる。需要を意識して、それを満たすよう、礼儀正しく受け手に届くように書く。そういうのをしっかり戦略的にやれる人を尊敬する。普通に凄いなって感じ。しかも楽しんで書いてるというんだから、言う事ないでしょう。やれって言われても俺は出来ない。俺はただただ頭の中で思ってる事をダーって書き殴る事しか出来ない。

 

頭の中で考えるだけだと、都合の悪い事は無かったことにしてしまったり、考えたい事だけ考え、詰めていってそれで満足してしまってる。

 

実行するための前提条件抜かしたり、見たくない障壁をスルーしてたり、行動を起こしたら出てくるであろう副作用も考えなかったり。何が怖いって、それが全部無意識で頭が勝手に考えてること。だから結局、ただ考え、それをこねくり回して、形が変わっただけでまた考えだけが残るような、考えが外に出ていかないような感じと言うか。粘土をこねくり回して、形は変わるけど、所詮粘土は粘土で終わるようなもの。この表現で伝わってるかわからないけど、そんな感じがするのです。

 

でも書いて言語化すると、無茶苦茶な考えを一応は筋道立てた形にしないといけない。そうしないと言葉と言葉が繋がらないし、文章にならない。で、あれやこれや修正したり、表現を具体化したりしていくうちに、当初頭の中で考えただけの結論と少しずつ変わっていく。

 

言葉と文章を書きながら、読んだ言葉と文章に、その都度自分が影響を受けてる。

 

思考の結果が言葉の筈なのに、言葉が思考に影響を与えてしまって、変わってしまうし、変わらざるを得ない。それって書くことによって考えが進化してるのか、意図せぬ違う方向に行ってるのかわかんないけど、頭の中で思ってただけの物のとは明らかに違う。ああ、自分は本当はこう思ってるんだ、とか驚かされることが結構ある。自己対話の方法が俺にとっては書く事かもしれない。だから書くことは楽しい。

 

書いたものを外に公開しようと思ったのは、そんな風に思ってるとボソッと打ち明けた時、「それは絶対ネットにアップしろ」と言ってくれた人がいたおかげであり、Facebookからブログにしたのは、「Facebookだと流れていってしまう、纏めて自分用のブログにしないと後々きちんとした形で残らない」と言ってくれた人がいるから。

 

人様に見てもらうために、最低限の見栄えを気にはするけど、自分向けでノートに書き殴っていたものから最低限しか手を入れない。どれもこれもしょうもない事書いてるし、言葉使いは乱暴。でも品行方正な文章なんか書けないし、無理やりそういう風にしてしまうと、なんか自分の考えでは無くなりそうで嫌。プロの方々はそういう心配りをやるべきだろうけど、俺みたいなド素人は勘弁してほしい。何より自分自身が面白く無いし。

 

そんな感じで書いているのであまり反応とかは気にしないようにもしてるんだけど、公開コメントでは無く、たまーに感想を個別で投げてくれる人がいて、そういうのがこっぱずかしくも凄く嬉しい。公開されるコメントじゃないから突っ込んだことも書いてあったり、具体的に此処が良かったみたいな指摘なんかもらうと、殊の外嬉しい。別にこれからも役に立つことは書くつもりも無いし、書けないと思うけど、なんかそう言うのは励みになるなーと思う。

 

でも先日、「読んだら風邪が治り元気になりました」ってのが来て、流石に驚き筆を執った次第でありました。

 

それは無いな、でも、ありがとう。

 

かしこ。