この4日間の間に義母に会いに大阪と福島を二往復しました。8日の朝一の大阪空港発、福島空港行は、同時刻の成田行きが満員で大混雑の中、わずか8名でガラガラ、貸し切り状態です。飛行機で貸し切りなんてプライベートジェット気分で中々得難い体験でした。こんな得難い体験をさせてくれたお義母さんには感謝しないといけないと思いつつ、福島に到着、約1時間後、病理解剖が終わったお義母さんにようやく会えました。
6日の夜に背中の痛みで急遽入院、ただ糖尿病(不摂生で発病したわけではありません)と、ここ数年は腰痛絡みでずっと通院していた事もあり、最初は本人も家族もその延長みたいな認識でした。休み明けの10日に腰の検査をして、今後の治療方針を検討するって話だったのに。7日の深夜に逝ってしまわれました。入院時のMRIで、肺に影があると言われたので癌かと疑ったのですが、解剖の結果癌とは思えないとの事。もう暫く死因の原因解明には時間が掛かりますが、医療ミスではなかったと信じたいです。
言いようのない気持ちが溢れますが、こうも人間は儚いのかとショックを受けました。命は思っている以上に、脆い不安定なものなんだと思います。殆どの人がそうでしょうけど、「この時間に死ぬ」なんてわからなくて、ひょっとしたら明日どころか、10分後に心筋梗塞で倒れるかもしれません。40代にもなれば、やはり繋がりのある人の親や親族が亡くなって、その事を生の言葉としても聞いたりもします。理屈ではわかるし、理解はしていたつもりなんですが、例えそれが義理だとは言え、自分の親に降りかかって初めて圧倒的な現実として突き刺さりました。本当に本当に我が身に降りかからないとわからないんですね。
そして残される側でもなく、残してしまう側として、私も何時死ぬかわからないという事が本当に腹落ちしました。仮に今死んだとして、残してしまう家族がやはり心配です。ただそれとはまた別の問題として、自分自身、今終わったとして満足なのかと問われたとしたら、悔いが無いかと問われたとしたら。
随分色んなことを積極的にやって人生楽しんでるつもりでしたけど、「じゃあ明日目を覚まさなかったとして思い残す事は無いのか?」と問われればあるんです。なので万が一そうなったとしても、できるだけ後悔しない生き方をしようと決めました。当たり前すぎる事ですが、少しでも興味を持ったことはとりあえずやってみたいと思います。
18歳の時、看護師になるために試験と健康診断を受けた際に糖尿病が判明、以来大好きな甘い物も殆ど食べれず、頑張ってこられてきましたが、最後は沢山の甘い物も一緒に持って行ってもらいました、もう我慢しなくてもいいので。
最後に「後悔のない生き方をする」という大切な教えを頂きました。
ありがとうございました。